教訓②むさぼりと偶像礼拝 1コリント講解 第15回

コリント人への手紙第1 講解第15回 (2018.04.29)
聖書箇所 1コリント10:1~13

これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。
それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。
あなたがたは、彼らの中のある人たちにならって、偶像崇拝者となってはいけません。
聖書には、「民が、すわっては飲み食いし、立っては踊った」と書いてあります。(6~7節)

①むさぼり
彼らが犯した過ちはいくつかありました。一つ目はむさぼりです。
彼らがシナイ山から出発して、約束の地に向かっているときに、彼らは激しい欲望にかられて、
「ああ、肉が食べたい。エジプトでは、魚も食べた。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。。。このマナにはもうあきあきした。」と言いました。
彼らの気持ちがわからないでもありません。
毎日、同じ食べ物ばかり食べていては、飽きてしまうのも分かります。
けれども、彼らはその代わりに、パウロが言うように御霊の食べ物を食べていました。
神の御霊の働き、御霊のいのちを経験していました。
だから彼らは、物質的には乏しかったけれども、霊的には豊かにされていました。
しかし、肉の欲望にかられて、むさぼりの罪を犯してしまいました。
私たちの歩みはどうでしょうか?貪欲から解放されましょう。

②偶像礼拝
パウロが挙げている次の過ちは、偶像崇拝です。
モーセがシナイ山にいて、神の律法を受けているときに、すでに40日が経っていました。
イスラエル人はシナイ山のふもとで待っていましたが、モーセがいっこうに戻ってこないので「自分たちはこの荒野で何をしているのか。何のためにこんなところにいるのか。」と不安になりました。
その不安から、アロンに金の子牛を造るように要求したのです。
彼らは金の子牛の回りで、宴会騒ぎを行ない、その偶像礼拝を楽しんだのです。
彼らを導いたイスラエルの神ではなく、他のものにより頼んだのです。

私たちの歩みはどうでしょうか?
日々の生活の中で、神さま以上に価値を置いているものはありませんか。まず神さまをワーシップしましょう!

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