「平和をつくる者は幸いです(後編)」幸福な人生の条件 その7-3

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.04.05)より
聖書箇所:マタイの福音書 5章9節

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」

「損なわれ、傷ついた関係が、正しい関係に回復されること」

マザーテレサは、愛することの反対は無関心であると言いました。無関心は正しい関係ではありません。では正しい関係にある平和とは何でしょうか?
それは神さまの創造の目的、罪が入る前のエデンの園において神さまの臨在の中で生きていたあの「神のかたちに似せてつくられた」状態です。言い換えるならば、罪によって損なわれてしまったあらゆる関係を回復することこそ、聖書の教える「平和」の大切なポイントがあると言えるのです。

人は本来愛し合う存在、主との交わりの中に生きるようにと造られました。しかし罪によって人は堕落し、神さまとの関係が壊されてしまいました。神さまとの関係が壊れると、愛し合う関係、一心同体であったエバとの関係にも裏切りや憎しみが入り込みます。正しい関係は傷つき、壊れてしまいました。あんなに愛し合っていたのに、最高の喜びだったのに。それは神さまとの関係が壊れてしまったことにあるのです。だから、この神さまとの関係が回復されなければ、そこから始まるすべての人間関係は回復されるはずもありません。平和はあり得ないのです。ではどうすれば神さまとの関係を回復することができるのでしょうか?

私たちは関係を一方的に断ち切ったのですから、自分から関係を回復・修復することはできません。そんな私たちのために、イエスさまは来られたのです。
「しかし以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」エペソ人への手紙2章13節~15節

「キリストこそ私たちの平和である。」

イエスさまの十字架は隔ての壁を打ち壊します。この隔ての壁は「正しい人間関係、神さまとの関係」を壊す隔ての壁でした。私たちは罪人であり、自分ではこの壁を壊すことはできませんでした。どんなに善行を積んでも、どんなに打ち叩いてもこの壁を壊すことはできませんでした。しかし神さまは私たちを見捨てず、なお正しい関係を持とうと手を伸ばしてくださるのです。それがイエスさまの十字架です。イエスさまによって、壁は壊され、正しい関係は回復されるのです。私たちが十字架の前に出て行くとき、敵意は取り除かれ、関係が回復します。ハレルヤ!

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