コリント人への手紙第1 講解 第16回(2018.05.06)
聖書箇所 1コリント 10 : 8~11
「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」11節
③姦淫(8節)
次に、パウロが取り上げているイスラエル人の行ないは、姦淫です。
民数記25章を見ると、バラクは、まじない師であるバラムを雇って、彼らをのろってほしいと頼みました。
けれども、主がバラムに、イスラエルをのろうのを禁じられました。
バラムは祝福の預言しか語ることができませんでした。
しかしバラムは不義の報酬を愛しました。(2ペテロ2:15)
そこでバラムは、一つの案を考え出しました。
「主はイスラエルを祝福することを定めておられる。彼らをのろうことはできまい。けれども、一つ方法がある。モアブ人の娘たちを、イスラエルの宿営に送り込み、イスラエル人の男たちと戯れるようにさせ、そしてモアブの神を拝ませるようにしよう。」
こうしてバラクはモアブ人の娘たちをイスラエルの宿営に送り込み、そのため、なんと一日に2万3千人のイスラエル人が姦淫の罪によって死んでしまったのです。(民数記25章)(黙示録2:14)
姦淫の罠はサタンの策略です。祝福をのろいに変えようとします!
④主を試みる(9節)
荒野の旅をして40年目になったときのことです。
彼らはまた主に逆らいます。(民数記21:1~9)
エジプトを出たとき大人だった人たちはほとんど死に絶えていました。
ここで若い世代のイスラエルの民も主を試みます。
自分の親の世代たちが主に対して文句を言ったように、「パンもない。水もない。このみじめな食物に飽き飽きした。なぜ俺たちをエジプトから連れ上ったのか!」と。
文句を言えば、また神様は新しい恵みを与えてくれると思ったかもしれません。
そのように神を試みたので、主は彼らに蛇を送られました。そして多くの者が蛇によって死にました。
神に逆らって神様を試みることは信仰ではありません!
⑤つぶやき(10節)
このことは、コラがモーセとアロンに反抗して、彼の立っている地が割れて、生きたままよみに下った後に起こりました(民数記26章)。
イスラエルの民は、「モーセとアロンが、主の民を殺した。」とつぶやきました。
すると、イスラエルの宿営で、人々が次々と倒れて死んでいきました。
つぶやきによって、滅ぼされてしまったのです。
私たちは、特に、神様の権威のもとにある人に対してつぶやくことに注意しましょう。
それは信仰の成長の妨げとなりえます。
「世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓」として、みことばから学びましょう!