自由と放縦の違い 1コリント講解 第17回

コリント人への手紙第1 講解第17回(2018.05.13)
聖書箇所 1コリント 10:23~33

「すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。」23節

誰でもキリストのうちにある者は、神による自由を得ています。
罪から解放され、神の子としての特権を得ています。
キリストにある自由は、神さまのご計画の中で、自ら選択し、決断し、行動し、みことばを基準として生きていきます。
その自由は、放縦とは異なります。放縦とは、何の規律もなく勝手にしたいことをすることです。
信仰が成熟するほど、本当の自由を味わえるようになります。
私たちは、イエスさまを信じることによって受ける自由があり、どんなことでもできます!
しかしそこには、秩序があります。
知識と自由、権利があっても、愛によってそれを使わないことを選ぶ自由を持っています。
パウロは、すべての人に有益であり、すべての人の徳を高めるために、その自由をどのように用いるのかについて語ります。

①他人の利益を喜ぶ。28~29節
キリストにある自由は、自分の利益、自分の良心の問題として相手を縛ることはしません。
キリストにある生き方は、誰にも縛られません。

②ただ神の栄光を現すためにする。31節
私たちのすべての行為が、神の栄光を現すか否かによって、判断されなければなりません。
つまずきを与えないようにすることは、世に合わせることではありません。
クリスチャンとして、はっきりした価値観を持って歩めますように。

③すべての人々が救われるためにする。33節
「人々が救われるために、自分の利益を求めず…」これが自由を用いる目的です!
私たちに与えられている自由をどのように用いるのか。
聖霊さまにより、いつも知恵が与えられますように。

「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。」1コリント 9 : 19
アーメン!

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