信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2019年2月号より
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」
聖書箇所 使徒の働き 3章1節~8節
「私にあるもの…」あなたは、何を持っていますか?
自分にあるものしか、人に上げることは出来ませんね。
ペテロとヨハネは「私たちを見なさい」「私にあるものを上げよう」と言います。
40年間、生まれつき足のなえた彼は、何かもらえると思って二人を見つめます。
彼が求めたものは、一日をしのげる小銭でした。
空腹を満たす食べ物を買えればよかったのです。
ペテロたちも小銭くらいは持っていたでしょう。
しかし神さまが与えようとしたものは、ちっぽけなものではなく、大きいものでした。
一時的でなく、永遠に変わらないものでした。
それが「イエスの御名」です。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と!
あなたが人に上げる最高のプレゼントは何でしょうか。
確かに、物質的な援助やサポートも必要ですし、心のケアや励ましも大切です。
でも彼の本当の必要は小銭ではなく、立って歩くことでした。
でも彼はそんなことを考えもしません。
生まれつき立ったことがないのですから。
私たちも同じように、生まれつき罪の中で生きていました。
救われることを考えもしませんでした。
そもそも「救い」が何なのか知りませんでした。
世の中にある救いは、お金、病気、合格祈願、人間関係のトラブルなど、全て具体的な問題からの救いです。
でもその救いは、問題の本質を解決しません。
実はすべての問題の根源は罪から来ています。
罪からの救い、それが「イエスの名」にあるのです。
彼は「イエスの名」により立ち上がり、踊り出し、主をほめたたえつつ宮に入って行きます。
人生が全く変えられること。
これが救い、これがGospelです!
「私にあるものを上げよう!」
ただ神さまだけに栄光が帰されますように。
今日も、あなたにこの「救い」が豊かにありますように。
牧師 佐藤耕二