キリストのもとに ガラテヤ書6

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2023年7月号より

「しかし、信仰が現れたので、私たちはもはや養育係の下にはいません。」
ガラテヤ3:25

律法は良いものです。そして、神さまが設けたように律法を守り行うなら義と認められます。

でもでもでも!私たちにはできっこありません!弱さがあり、不完全だからです。22節a「聖書は、すべてのものを罪の下に閉じ込めました。」とあるように、律法によって、私たちの弱さ、足りなさが明らかになります。

イエスさまを信じたいと思うようになってからや、従っていきたいと願うようになってから、どんどん自分のイヤなところが見えてきたり、しんどいと思うことが増えたのではないでしょうか?それは、律法がきちんと養育係として働いているからです。

イエスさまを信じている私たちは罪の下に閉じ込められてはいません。そして、養育係の下にもいません。働きかけられてはいますが、私たちが今おかれている場所は、イエスさまのところです。キリストの下にいます。

パウロはここで律法をないがしろにしているわけではありません。神さまが設定された高い基準のおかげで、自力では到達できないことを知り、御霊により頼むことを天の父は待っておられます。

しかしながら、私たちが日常生活でやりがちなのは、この養育係から離れようとしないことです。私たちは養育係のそばにいる必要はなく、律法を成就されたお方、キリストのそばにいることをチョイスしていきたいものです。

不完全であっても、そして何度も言われているのに神の子としてのポジションを忘れてしまっても、また、いつの間にか自分が1番になってしまうことがあっても、キリストの十字架を信じている私たちに神さまは「大丈夫だよ」とおっしゃっています。
イエスさまのところにいるんだから大丈夫なのです。

伝道師 深谷さおり

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