「花嫁のアイデンティティー」雅歌の学び 第3回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.09.29)より
雅歌の学び 第3回
聖書箇所:雅歌 1章5節~8節

「エルサレムの娘たち。 私はケダルの天幕のように、 ソロモンの幕のように、 黒いけれども美しい。」5節

ケダルの天幕…ケダルはイシュマエルの子。遊牧民の天幕のことで、ヤギの毛や皮で作られた幕です。それは黒く、汚れていた。

ソロモンの幕…最も美しい幕。神殿の中にある至聖所の垂れ幕とも言われる。

花嫁は、私はケダルの天幕のように汚れていて、黒くて、汚いと告白している。
しかし花婿はそんな私を、誰が何と言おうとソロモンの幕のように美しいと見ていてくれる。
私たちのアイディンティティーにおいて最も大切なのは、自分が何者なのか認識することです。
それは人がどのように私を見るかではなく、神さまが私をどのような者と見ておられるかを知る事です。
神さまが見られる姿こそ私たちの正確な姿であり、私たちの持つべきアイデンティティーです。

シュラムのおとめは、私はケダルの幕のように黒くて罪深いけれど、ソロモンの幕のように美しいと告白しました。
実際彼女は、真昼の日照りの中で畑の見張りに立たされ、そのために黒く日焼けしていたのでしょう。
しかし花婿にとっては、愛すべき最高の花嫁です。
しかし、シュラムのおとめは傷ついていました。
仲間の群れのかたわらで、顔を伏せ、顔おおいをつけています。
そのような中でおとめは花婿を求めて探し、エルサレムの女たちは答えます。

「女のなかで最も美しい人よ。 あなたがこれを知らないのなら、 羊の群れの足跡について行き、 羊飼いの住まいのかたわらで、 あなたの子やぎを飼いなさい。 」8節

「羊の群れの足跡について行きなさい。」
花婿は、王であり羊飼いであるイエスさまの型です。
そしてイエスさまはまことの羊飼いであり、また唯一、傷もシミもない全焼のいけにえとしての小羊です。
花嫁は、そのイエスさまの十字架の足跡についていく者です。

黙示録のみことばを見てみましょう。

黙示録 7章17節「なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

黙示録 19章7節「私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。」

「羊飼いの住まいに留まりなさい。」
羊飼いの住まいで養われること。これは重要です。
あなたが神の家族の一員として神の民に属するとき、あなたの本当の人生の目的が明らかになります。
確かにあなたが神の民に組み込まれる以前にもあなたの人生はあったかもしれない。
でもその人生は、自分が何者で、何の目的をもって生きていくのかがわかりません。
神の家族として組み込まれるとき、あなたは自分が何者であるかを認識することができるのです。
神の家族として、神の民として、神の子としての自分の存在が分かってきます。
自分が何者であるか認識するのがアイデンティティーです。
霊的家族の中で、自分がどこから来て、どこへ向かっているのか、生きる意味を知るのです。ハレルヤ!

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