幸福な人生の条件 その1

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2019年6月号より

この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
マタイ5:1~10

戦後の日本は、貧しさの中から食物を求め、また豊かな生活を求めて、誰もが一生懸命に働きました。そして驚異的な経済成長をとげ、わずか戦後25年にして世界の先進国と肩を並べる経済大国になりました。
しかしその一方で、日本の自殺率は世界でもトップクラスの高さです。確かに物質的には大変豊かな生活を得ましたが、今日でも多くの日本人が、本当の幸せや喜びを感じることができない現実の中で苦しんでいます。

聖書には、本当に幸せな人生とは何なのかが記されています。特に有名な箇所が、イエスさまが語られた「山上の説教」の箇所です。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだから。」
イエスさまが語る幸福な人生とは、私たちには考えもつかないことばです。でもそこに、本当の幸せの条件があるというのです。「心の貧しい者」とは、どういうことでしょう?
私たちが思い浮かべる「心の貧しい人」とは、「貧乏な、ケチな、心が狭い人」というようなイメージですが、イエスさまが言う「心の貧しさ」は全く違います。
イエスさまが言われる「心の貧しさ」とは、「自分が無力であることを知って、ただひたすら神さまの恵みにより頼む人」のことです。「貧しい」とは、ギリシャ語で「破産宣告」を意味することばで、お手上げの状態を指します。神さまにより頼む以外に望みのない、自分の限界を知っている者たちのことです。
天の御国は、その人たちに注がれるのです。

自分の力に頼るのでなく、神さまの恵みに目を向けるとき、神の国の豊かさを知ることが出来ます。自分の弱さに目をとめるのではなく、神さまのあわれみに目をとめるとき、神さまの祝福が注がれます。貧しくなるとは、神の国の祝福を受け取ることができる一番の恵みなのです。

牧師 佐藤耕二

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする