詩篇122篇の黙想「ピース・メーカー」

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.4.24)より
聖書箇所:詩篇122篇 1節~9節

エルサレムの平和のために祈れ。
「あなたを愛する人々が安らかであるように。あなたの城壁の内に 平和があるように。
 あなたの宮殿の内が 平穏であるように。」
詩篇 122篇6節~7節

この詩篇122は都上りの歌です。

主を礼拝するためにエルサレムに、神殿に上っていくワーシッパーたちの賛美です。主の臨在を求めて、主をほめたたえつつエルサレムに上る巡礼の旅路こそ、礼拝者の大路ですね。1節「さあ、主の家に行こう!」。その旅路は一人旅ではありません。その呼びかけは、神の家族、共同体と共に歩む喜びの旅路です。その旅路の中で、作者はエルサレムの平和のために祈れと告白します。その「シャローム」とは、きわめて豊かな意味を持っています。

①「平和」②「平安」③「繁栄」④「健やかさ」⑤「充足」⑥「救い」⑦「勝利」、というように、シャロームには霊的な解放と、肉体的な健やかさを含んでいます。そのシャロームの概念のひとつが「完全さ」です。「欠けがない状態、満たされている状態」と言う意味があります。そしてもう一つは「健全さ」です。「正しい関係にあること」です。この二つが聖書の教える「平和」の核となる部分です。

そのシャロームがエルサレムにあるように!祈りなさいと言うのです。

なぜなら、エルサレムの平和こそ、神さまの心、神さまのビジョンだからです。その神さまの夢は、キリストにあって、すべてのものが一つにされることです。「エルサレムの平和のために祈れ」とは、神の民がひとつになるために祈ることであり、神のご計画とみこころが完成するために祈ることなのです。その祈りは「あなたの城壁の内に、あなたの宮殿の中に、あなたの心に神さまの平和があるように。」という祈りです。

イエスさまのシャロームがあるように祈りましょう。

しかし、私たちの内側にはその平和ではなく、いつも隔ての壁があります。平和を求めながらも、平和を叫びながらも、隔ての壁を作って戦おうとする自分がいます。だからこそ、そんな私たちのために「ピース・メーカー」であるイエスさまが来られたのです。このシャロームは、イエスさまのいのちによって開かれた門です。そのイエスさまを知らないと真の平和は来ません。エルサレムの平和も、私たちの救いも、イエスさまの十字架によるのです。イエスさまのシャロームがあるように祈りましょう。エルサレムの平和を祈ることが、神さまのみこころを待ち望むことでもあるからです。ハレルヤ!

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