信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2019年12月号より
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。」 イザヤ書 53章4節
今年も救い主を待ち望むアドベントのシーズンがやってきました。救い主の誕生とその贖いを憶えつつ、一人ひとりの内にイエス・キリストの希望が届けられますように。
救い主がこの地に来られました。その方は、救い主イエス・キリストです。しかし、人々はその方を歓迎しませんでした。むしろ拒み、嫌がり、敵対しました。それは救い主が罪を犯したからではなく、失敗したからでもありません。理由は正反対でした。イエスさまが来ると、汚い心や妬ましい心、罪や自我が明らかにされるので、徹底して救い主を拒んだのです。
しかし、イエスさまは私たちの罪はもちろん、病、痛み、苦難までもその身に担われました。人類が背負った罪、病、呪いがイエスさまのもとへと移されたのです。これが福音の核心である「贖い」です。ほかの宗教には見られない概念です。イエスさまは私たちの代わりに苦しみにあい、代わりに借金を返し、代わりに恥ずかしめを受けられました。イエスさまが負われた苦しみは私たちの苦しみであり、イエスさまが負われた痛みは私たちの痛みです。病も、恥も、呪いもすべて代わりに負ってくださいました。
ですから私たちは、もはや自分の罪のゆえに恐れる必要はありません。恥を隠す必要もありません。言い訳する必要もないのです。イエスさまが私たちのすべての罪と苦痛を担われたからです。この救い主の贖いこそ、私たちの喜びであり、希望です!救い主イエス・キリストの御降誕を心から喜び、再び来られる王なるイエスさまを心から待ち望みましょう。
牧師 佐藤耕二