「花嫁の誘い」雅歌の学び 第17回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.01.19)より
雅歌の学び 第17回
聖書箇所:雅歌 7章10節~8章3節

「私は、私の愛する方のもの。あの方は私を恋い慕う。
さあ、私の愛する方よ。野に出て行って、ヘンナ樹の花の中で夜を過ごしましょう。」
雅歌 7章10~11節

成長した花嫁の誘い。
最初の段階では、花婿の呼びかけになかなか出て行くことのできなかった花嫁でしたが、花婿の愛を知るようになると、安心して着いていくようになります。そして花婿の愛により自分が何者であるのかを発見した花嫁は、もう着いていくだけではありません。イエスさまを引っ張って連れて行くようになります!イエスさまをデートに誘うようになる。花婿の心を揺り動かすようになります。「さあ、私の愛する方よ。野に出て行って、ヘンナ樹の花の中で夜を過ごしましょう。」

花婿と親しい交わりを過ごした朝早くに、花嫁は「ぶどう畑」に行き、そこにあるぶどうの木が芽を出し、花が咲いているか、また、ざくろの花が咲いたかどうかを一緒に見ましょうと、花婿を誘い出そうとしています(12~13節)。ここで注目しなければならないのは、「私たち」という人称です。「私たちは朝早くから、」「私たちの門のそばには、」もう二人は一心同体の状態にあるのです。

自分のぶどう畑には興味のなかった花嫁が(1章6節)、花婿とのぶどう畑には興味深々です。信仰者は、自分の働き、ミニストリーに興味があるのではなく、イエスさまとともに働くミニストリーの芽を見たいのです。どのように芽が出て、どのような花が咲き、実を結ぶのか。それが花嫁の喜びです。イエスさまと共にその働きをすること、イエスさまの臨在をその働きの場に連れて行くこと、それがキリストにある者の働きですね。

イエスさまは「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」(ヨハネの福音書 15章5節)と言われました。花嫁が花婿にとどまっているならば、そういう人は多くの実、花婿のいのちの実を結ぶのです。

「さあ、イエスさま!一緒に行きましょう。」といつもイエスさまを歓迎して出て行きましょう。イエスさまと共に働くぶどう畑には、豊かな実が実ります。ハレルヤ!

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