「聖霊による封印の力強さ」雅歌の学び 第18回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.01.26)より
雅歌の学び 第18回
聖書箇所:雅歌 8章4節~7節

私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。
大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。」
雅歌 8章6~7節

その時代、封印は所有のしるしでした。だから、誰かが相手の封印を持つことは、相互の所有のしるしでした。だから花嫁は、「私はあなたのものです。そしてあなたは私のものです。私たちは互いに封印されている。」と言うのです。花嫁は「愛は死のように強い」と言います。つまり、死でも、私の愛を壊すことができません。死んでも、私の愛は続きます。「封印は解かれることはない」という告白です。

また封印とは、証印とも訳されます。ハンコのことです。契約の保証ですね。「この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」(エペソ 人への手紙 1章13節~14節)。

その証印が聖霊によって与えられるのです。その証印は、私たちに対する主の燃えるような愛を証しします。聖霊により、イエス様の十字架のみことばが開かれていくなら、主の燃えるような愛が私たちの胸に、心臓の上に押し付けられるのです。これこそ、主と全く一つになるということです。エデンの園での主との関係が回復することにより、いつも喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝する日々へと変えられていくのです。

その聖霊による愛の関係は、絶えることがありません。愛とねたみは、表裏一体ですね。神は愛であり、「わたしはねたむ神である」と言われます。その愛の象徴が十字架です。私たちを愛するがゆえに、しかし神は聖であるから、私たちの罪をそのまま受け入れることは決してできません。罪に対してねたむのです。木に架けられた者は、のろわれた者ですと、イエスさまの十字架は罪に対するのろいがすべてイエスさまのからだにのせられたのです。「それは何故でしょうか?」私たちを愛するが故です。キリストの圧倒的な愛に触れながら生かされていくとき、私たちの品性も必ず変革していきます。アーメン!

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