「心のきよい者は幸いです」幸福な人生の条件 その6

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.03.15)より
聖書箇所:マタイの福音書 5章8節

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。」

聖書は、神さまが私たち人類に与えられたラブレターであり、どのように生きれば幸福な人生を送ることができるのかが教えられてきます。そしてその幸せは、神さまとの関係、回復、臨在にあると言うのです。ゆり動くことのない神の国の約束に生きることが私たちの幸せです。

幸福な人生の第六の条件は、「心のきよさ」にあります。神さまの関心は、私たちの心です。「人はうわべを見るが、神は心を見る。」のみことば通りです。

イエスさまが山上の垂訓を語られた時代、宗教的な権力を持っていたのがパリサイ派の人たちでした。彼らは律法を完全に守ることによって神さまの恩恵を受けると信じていました。律法を守り善良な信仰者たちでしたが、しだいに伝統と形式的な信仰にはまっていき、律法学者、パリサイ人たちは「うわべのきよさ」に固執し、取税人や罪人たちを差別し、貧しい者や宗教的に汚れた者を見下すようになりました。

「目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」

私たちがパリサイ人と聞くとき、何か人ごとのように聞いてしまうことはありませんか。私たちもイエスさまと同じ立場に立って一緒に批判していませんか?それは危険ですね。そこには、もうすでに自己義が建て上がっています。これが私たちの古い性質です。イエスさまは、うわべを繕っていても、私たちの心の中が醜い罪の思いで満ちていることをよくご存知です。だから、心がきよめられる必要があるのです。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」ヨハネの手紙第一 1章9節

心のきよさを得るには、私たちが神さまの御前に出て、自分の汚れた姿を正直に認め、イエスさまの十字架の死が自分のために必要であったと告白することです。そのとき、私たちの内にキリストのきよさが形造られていきます。

心のきよさを与えられた者は幸いです。その人は、神さまを一心に見るようになるからです。それがキリストの花嫁の心ですね。ハレルヤ!

 

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