「神の前に富む者」ルカの黙想:学び第26回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.8.6)より
聖書箇所:ルカの福音書 12章13節〜21節

「どんな貪欲にも」注意しなさい

群衆の中の一人が、自分の遺産分与に関する問題をイエスさまに解決してもらおうと願い出ます。彼は、イエスさまが他のラビたち(律法の先生)のように、自分の問題を、自分が納得できるように解決へと導いてくれると期待していたようです。しかしイエスさまは「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停人に任命したのですか。」と、その問題について関与しようとしません。しかし、その質問からもっと大切な真理へと人々を導いていきます。それが「どんな貪欲にも」注意しなさいと言うことです。

私たちの周りには、様々な「貪欲」が溢れています。メディアを通して、音楽を通して、雑誌や小説などを通して、毎日繰り返し、この世が持つ貪欲の価値観が流れてきます。この世が与える価値観は、お金や富に執着させます。それは、あなたがどんなに熱心に信仰生活を続けていても、この世で生きている間、私たちのたましいを惹きつけます。その貪欲は尽きることがありません。だからどんな「些細な貪欲」にも注意する必要があるのです。

なぜなら「その人のいのちは財産にあるのではないからです。」

豊かな財産は、一時的な貪欲を満足させるかもしれませんが、【いのち】とは何の関係もありません。その【いのち=ゾーエー】とは、永遠のいのちのことです。もちろん、富によって得られることもありますが、むしろ富によって人生や人格を破壊に導くこともあります。いのちのために富が必要なのに、富のためにいのちをかけている人たちが多いからです。私たちに本当に必要なものは、富よりも、私たちにいのちを与えてくださる神さまです。

このたとえ話でも、その豊かな作物が金持ちを悩ますことになります。それで穀物を入れておく作物倉を増築することになりました。これから先、何年もの作物を貯めることが出来た金持ちは、これから安心して食べたり飲んだりして楽しもうと期待します。その金持ちは、希望をもたらしてくれた財産によって明るい将来を手に入れたと確信していました。

しかし神さまはここで、おまえの財産ではなくて、たましいを取り去ると言われます。「おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」それは、私たちが考るべきことです。あなたが人生をかけてしていること。あなたのいのちを何のために使っているのか?
貪欲は私たちの心を疲弊させますが、神さまによって豊かな人は、さらにたましいが豊かになります。神さまの恵みによって豊かにされるなら、どんな貪欲にも打ち勝てるのです!ハレルヤ。

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