「平和をつくる者は幸いです(前編)」幸福な人生の条件 その7-1

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.03.22)より
聖書箇所:マタイの福音書 5章9節

八福の教え①から④は神さまとの関係において、⑤から⑧は隣人に対しての横の関係において必要となります。そしてそれは私たちの霊的成長と関係があります。

「あわれみ深い者」とは

他者に対するあわれみ深さは、 自分自身が神の義に飢え渇いている時に与えられます。なぜなら自分自身の弱さを悟るからです。自分の義の限界を知り、イエスさまの十字架の恵みと赦しを体験した者は、罪の中で苦しみ葛藤している者に対して無関心ではいられず、その人が罪から立ち直ることができるよう願い、共に悩み、愛が行動へと現れていきます。
すると人に「あわれみ」を示していく中で「心のきよさ」が試されます。うわべで愛を現しているのか?心からのささげものなのか?ミニストリーや愛の働きも、名声や地位、お金が絡んでくると何か自分の内から悪い思いが出てきて、 それが自分を試します。「心のきよさ」が試されるのです。聖霊による警告音が鳴り響きます。その警告に応答し、悔い改め、心を見張ることによって、そこから聖霊のいのちの泉が流れ出し、心のきよさが保たれます。その中で私たちは、キリストに似る者へと造り変えられていきます。

そして次に、「平和をつくる者は幸い」 なのです。それまでなかった平和を造り上げていく者とされるということです。

聖書が教える平和とは単に戦争や争いがないということではありません。聖書が言う「平和」とは、もっと広く、もっと深く、この世の苦しみや悲しみ、罪からの解放のことを含んでおり、それは私たちの救いと密接に関わるものであります。
「平和」とは、ヘブル語では「シャローム」という言葉が使われています。「シャローム」ということばには、沢山の意味があります。「平和」「平安」「繁栄」「充足」「健康」「救い」などです。それらを簡潔に言い表すならば、まず第一に、「欠けがない状態、満たされている状態」と言う意味があります。二つ目は「正しい関係にあること」です。この二つが聖書の教える「平和」の核となる部分であります。

争いの中にあっても、問題の中にあっても変わることのない「平和」。それが聖書の語る「平和」です。その「平和」が私たちの中にかたち造られていくのです。
ハレルヤ!次回その「平和」について見ていきましょう。

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