受けるより、むしろ

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2020年6月号より

「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
使徒の働き 20章35節

「受けるよりも与えるほうが幸いである」という言葉はイエスさまが言われたのですが、福音書には出てきません。でもイエスさまがいつも弟子たちに分かち合っていた価値観です。私たちは、もらうことが大好きです。なにか自分を犠牲にして人に与えることよりは、誰かから何かを受け取ることを喜びます。

この「与える」人生は、イエスさまの人生そのものでした。イエスさまは、自分の命を捨てて、私たちを愛してくださいました。イエスさまは、私たちの身代わりとなって、十字架にかかり死なれました。イエスさまを信じるとき私の罪は赦され、本物の自由を得ることができました。イエスさまの生き方自体が「受けるより、むしろ」でした。
信仰の大先輩、モーセの信仰も「受けるより、むしろ」でした。
「はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。

彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。」ヘブル人への手紙 11章25~26節
彼はこの世の楽しみや喜びを受けるよりも、神さまと共に生きることを選択しました。それは時に苦しみをも選ぶことになります。それでも、モーセは永遠に価値あるものを見続けました。

またイエスさまの弟子ペテロも、「受けるより、むしろ」を告白します。「もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」ペテロの手紙 第一 3章17~18節

ポイントは、私たちが持っている希望にありますね。あなたの内に満ち溢れる希望があるなら、「受けるより、むしろ」その喜びを流したくなるのです。
ハレルヤ!

牧師 佐藤耕二

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