「十字架につけたのは私です」使徒の働き 学び第5回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.05.31)より
聖書箇所:使徒の働き 2章36節~40節

「ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

私たちがイエスさまの福音を伝えるとき、どのように語ったらよいのか悩むときがあります。それぞれの人に対して、どうしたらこの福音を知ってもらえるかと考えます。ユダヤ人のように、みことばの土台がないからです。私たちは、福音を聞くことが初めての方や、まだ聖書の知識がない方々のためには、みことばからあらゆる方向で福音の恵みを伝えますね。しかし、いざ信仰告白に導くためには、その救いのメッセージはひとつしかありません。その道はイエスさまだけです!それが今日のペテロのメッセージです。

①罪を悟る。

私たちが救われるためには、自分の罪を悟らなければなりません。私たちも、イエスさまの十字架の話を聞いても、それが自分と何の関係があるのかがわかりません。神さまから背「罪を悟る」とは、「このイエスさまを十字架につけたのは私である。」と悟ることです。罪とは、を向けて、自分の正しさを主張して生きることです。人間の罪の性質には、自分を弁護する天才的な力が備わっています。「俺だけじゃない。みんなもやってる。」と。それらを打ち砕いて、罪を悟らせてくださるのが聖霊さまです。罪によって暗くなっている心を真理のみことばで照らし、罪を認めさせてくださるのです。「人々はこれを聞いて心を刺され、」「私たちはどうしたらよいのかと。」罪に対する考え方に変革が起こります。これが救いの第一歩です。

②悔い改め。

そこでペテロは彼らに答えます。「悔い改めなさい。」悔い改めとは、「ごめんなさい。」と言い続けることではなく、神さまに背を向けていた生き方から方向転換をして、神さまを見て生きるようにされることです。いつもイエスさまの十字架を見上げて歩むのです。それは懺悔の生き方ではなく、感謝の生き方です!

③救い。告白。

このイエスさまの十字架の血潮がすべての罪より私たちを聖める。これが神さまの救いの約束です。この救いは、恵みにより、信仰によってのみ与えられます。罪によって暗く閉じこもっていた部屋の中に光が差してきます。目が見えなかった者が、見えるように変えられていく。もうそこにとどまっていることができなくなり、光のうちを歩むように変えられます。主の恵みを告白し、日々主をほめたたえるのです。ハレルヤ!

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