絶望の中にあっても <使徒の働き27章18~26節>

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2020年10月号より

「太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。」
使徒の働き27章20節

どこに向かっているのか。どこへ向かえばいいのか。望みが絶たれたかに思え、人生の行先が見えない状況で、それでも揺るがない希望をもって立つことができるとすれば、それはなんと幸いでしょうか。今日の箇所は、荒れ狂う嵐の中を放浪し、完全に方向感覚をなくし、「私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた」という状況で、一人だけ、希望を抱き続けている信仰者が登場します。

その人物がパウロです。彼の人生には、様々な試練や迫害、困難が襲いました。鞭打たれること、石打にされること、投獄や難船、死を覚悟することもありました。しかし、彼は福音から離れません。パウロは常に揺るがない神さまのことばを握っていました。何があっても、誰がなんと言っても、確かな方向を指す羅針盤を握っている者は幸いです。神さまの約束は必ず成し遂げられるからです。
「あなたは必ずカエサルの前に立ちます。」これがパウロの確信です。

「良い港」を出る前に、「積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶ」と忠告したパウロですが、神さまの約束が与えられてからは、以前の発言を修正して人々に励ましを与えます。
「しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。」22節
神さまの約束を握っている者は、その希望を伝える義務があります。人々の失敗や、過ちを批判するだけでなく、励ましを与え、希望を語り、生きる望みのない者にいのちを与えるのが福音です。昼の間にしか伝えることができません。誰も働くことのできない夜が来るのです。
今日も、あなたがしていることが言い訳にならないように神さまのことを思って忠実でありましょう。絶望の中にあっても福音を語りましょう!

牧師 佐藤耕二

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