「苦難を通して溢れる神の慰め」 2コリント学び第1回

「コリント人への手紙第2」学び 第1回(2018.07.29)
聖書箇所 2コリント 1章3節~11節

「それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。」5節

①神の慰めを受け取る。
あなたは、苦難を受けたときに、どうしているでしょうか?
その苦難を与えた人を憎んで、恨んで葛藤することがありますよね。
また、そのようなことが自分に降りかかることを許された神さまに反発し、神さまから離れてしまうこともあるかもしれません。

しかしパウロは、自分がどうしようもない苦しみの中にあるとき、「神さまの慰めを受け取った」と語ります。
「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。」4節。
苦難は私たちに、神さまの存在に対する疑いを持たせようとしてきます。
神さまが良いお方であることを見えなくさせようとします。
しかしその時こそ、神さまの御前にへりくだり、みこころを求め、神さまの慰めを受け取るべきです。
私たちが受ける苦難は、ただ苦しむために神さまが許されたのではありません。
神さまは、苦難を通して慰めを与えてくださり、より強い神さまとの関係へと私たちを成長させてくださいます。

②イエスさまの苦しみを覚える。
「私たちにキリストの苦難が溢れているように・・・」5節
パウロは自分が受けた苦しみを、イエスさまが受けられた苦難の延長であると言います。
イエスさまに従う者は、この世では様々な試みと苦しみを受けます。
しかしイエスさまは、私たちが受ける痛みと苦しみをすべて理解され、私たちの弱さにも同情してくださいます。
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」ヘブル4:15
だから私たちは、苦難のときこそイエスさまの十字架を見上げ、そこから溢れ流れてくる慰めと救いを受け取ることができるのです。
イエスさまのために苦難を受ける者に、神さまは必ず慰めを与えられます!
それゆえ、どんな場合にも私たちには希望があり、勝利の道を歩むことが出来ます!
アーメン。

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