「あなたはどう読んでいますか?」ルカの黙想:学び第21回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.7.2)より
聖書箇所:ルカの福音書 10章25節〜37節

みことばをどのように受け止めているか?

今日のテーマは、その聞き方、読み方です。この箇所は有名な「良きサマリヤ人のたとえ話」のシーンですが、私たちが何を読み取っているのかが重要です。イエスさまは、ただ善行を行いなさいと言っているのではないのです。

「さて、ある律法の専門家が立ち上がり、、、」
25節

自分の正しさを示そうとして。律法を行うことの正しさを示そうとして一人の律法家が意見します。ここにはイエスさまに対抗する自信に溢れる姿があります。「先生、何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか」というこの質問は、それをなんとか手に入れたいという気持ちからの願いではなく、「すでに私は永遠のいのちを相続できる確信があるのですが、イエスさま、あなたは何をしたらそれを受け継ぐことができるとお考えですか?」というニュアンスの質問をしているのです。最初から、彼は自分の答えを持っていました。彼は(律法の専門家たちは)、律法を守ることによって「永遠のいのち」が得られると信じていたのです。その上で「何をしたら」とイエスさまにチャレンジしているのです。

注目すべきは、チャレンジに対してイエスさまがどう答えているか。

「律法には、なんと書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
26節

「あなたはどのように律法(みことば)を読んでいますか。」というのは、あなたはどのように律法を理解しているのかという問いかけです。この問いかけは、今日の私たちにとっても重要な問いかけであると信じます。イエスさまのこの問いかけに対して、律法の専門家は模範的な解答をもって答えます(27節)。ですからイエスさまは「そのとおりです。そのようにしなさい。」と言われます。「しかし彼は、」とあるように、律法の専門家はいよいよ「自分の正しさを示そうとして」、では、「私の隣人」とはだれのことですかと問いただすのです。

さぁ〜、そこでとうとうイエスさまが、彼の目が真理に開かれるようにと願い語られたのが「良きサマリヤ人」のたとえです。イエスさまのたとえ話に登場する強盗に襲われた「ある人」に対して、「祭司」も「レビ人」も彼を見て彼とのかかわりを避けました。なぜなら、祭司もレビ人も彼をあわれむことではなく、律法を守ることしか頭になかったからです。あわれみの心がないので、彼らには強盗に襲われた人を助けることはできなかったのです。イエスさまは、ここで「隣人とはだれか」という私たちの建前の問いに対して「だれが隣人になったか」という真理に焦点を向けさせます。実は、これが答えです。イエスさまは最初に、あなたは「律法をどのように読んでいますか」と問いかけられました。私たちには完全に守ることのできない律法を成就するためにイエスさまは来られました。それを成し遂げてくださったイエスさまの十字架によらなければ、義とされることはありません。永遠のいのちは、イエスさまを知った者の中に明らかにされていくのです。ハレルヤ!

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