見えないものにこそ!

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2021年5月号より

「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」
コリント人への手紙 第二 4章18節

私たちの地上での人生は一時的であり、限りがあります。見えるものがどれほど豊かでも、やがて廃れます。イスラエルの王として最も栄えたダビデやソロモンでさえ、そのはかなさを繰り返し語っています。でも、限られた人生の中で真理を見出し、目的を見出していくなら、その歩みはなんと幸いでしょうか。

目に見える物質的な繁栄、華やかさ、成功は、私たちを釘づけにします。それらが誇らしく、ときには羨ましく思う心が湧いてきます。そして、見えるものの価値によって幸せを判断することがあります。でも聖書は、目に見えるものは一時的だと言います。一時的な興奮、一時的な快楽、一時的な優越感、一時的な幸せにすぎません。それは魅力的なアトラクションのようなものです。

私たちは視点を正す必要があります。それらの興奮、優越感は一瞬だと。一時的なものに自分の人生を賭ける必要がないことを、一時的なものに執着し過ぎないことを知る必要があるのです。
もちろん自分の人生に目標を持ち、それに邁進することは良いことです。でも、その目標の遥か先にある、永遠に価値あるもののために生きることを知っていることが、先ず大切です。目に見えないものにこそ価値があり、永遠に残るからです。聖書は言います。
「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。」コリント人への手紙 第一 13章13節

あなたが、イエスさまの十字架から溢れ流れる神さまの愛を知るとき、あなたのうちに変わることのない信仰と希望と愛が形造られていきます。その中で「愛」が遺産として残るだけでなく、私たちが神の御国に移されるとき唯一持っていける財産でもあります。神さまの臨在される新天地では、もう「信仰」も「希望」もいらないからです。

この地上での私たちの歩みは、イエスさまと出会った時からもう天の御国の影であり、私たちの実在(国籍)は「天」にあるのです。だからこそ天に目を向け、この限られた人生を喜び、神さまをワーシップして歩みましょう。見えないものこそ永遠に続くからです。
ハレルヤ!

牧師 佐藤耕二

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