主の宮に栄光を与えるため エズラ記8

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2022年10月号より

「私たちの父祖の神、主がほめたたえられますように。主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ…」
エズラ記7:27

とうとう10月に入りました。2022年もわずかになりました。エズラ記は後半に入ります。やっとここでエズラさんが登場します。彼はアロンの子孫であり、祭司としての職務を果たすことのできる人でした。神殿が再建されてから約60年後、6節「このエズラがバビロンから上って来たのである。彼はイスラエルの神、主がお与えになったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた。」

この時の王は、再建工事をたくさん手伝ってくれたダレイオス王の孫です。エズラの願いは10節「主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようとして心を定めていた。」でした。みことばが何を言っているのか、つまり神さまは民にどうあってほしいのかをエズラ自身が体現しつつ教えていこうとしていました。彼の祭司、教師としてのキャリアアップのためではなく、神さまの栄光が民の中で表されるための願いでした。

彼は国を変えることのできる重要なポジションに就きます。異国の王にここまで優遇されたのは、6節にあるように「彼の神、主の御手が彼の上にあった」からです。7章にはこのことばが3回書かれています。彼がきちんと神さまの御手の中を歩んでいたからでしょう。今進んでいること、起こってくることなどは神さまの最高の計画の一つであるという理解、そしてその計画は私たち側の目的ではなく、神さまの栄光が表されるためであるという認識を持っているということです。

エズラは27節で「主がほめたたえられますように。主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ」と記しています。彼は王さまからの待遇を、与えてくださった神さまに感謝と賛美をささげています。嬉しいことがあったときに「やったあ!」だけで終わるのではなく「嬉しいことがありました。ありがとうございます」と神さまに感謝をささげたいものです。主の御手の中を歩み、主の栄光が表されるようにしていると、自然と神さまへの感謝と喜びが溢れてくるのではないでしょうか。エズラが御手の中でみことばと向き合い、まず自分が応答する態度をとっていくことを選んでいった姿を見習いたいものです。

伝道師 深谷さおり

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする