「物質主義からの勝利」伝道者の書:学び第5回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.12.11)より
聖書箇所:伝道者の書 2章18節〜26節

私たちの「いっさいの労苦」は何のための労苦だろうか?

いろんなことを成し遂げて、建て上げて、所有しても結局人は死に向っていく。。。そしてそれらを譲り、残していく。それを引き継ぐ者が「知恵者」か「愚かな者」かも分からずに。そこにソロモンの王としての空しさが表されています。あなたは自分の人生を通して、何を建て上げ、何を残したいのか。何のために労苦しているのか。それが分からないと、食べたり飲んだりして楽しむ他は何も良いことがないと言う結論になってしまいます。その幸せの価値観は、人間が創り出す「物質主義」の極みであります。でも、もしその生活で満足できるなら、そもそもソロモンは空しくはならなかったでしょう。彼はそのすべてを手にしていたからです。

ソロモンは何を残したかったのでしょうか。財産ですか。家ですか。地位ですか。

そのために労苦しているのでしょうか。ソロモンの父ダビデは、息子にそれらすべてを残していきました。ソロモンはただ恵みにより、それらをすべて受け取りました。地位や名誉も譲り受けました。ソロモンが建てた第一神殿も、ダビデが「主の宮」のために残しておいたものです。だから、ソロモンも受け継ぐ恵みは知っていたし、ダビデが残してくれたのは物質だけではなく、神さまの恩寵であると知っていたでしょう。聖書では、私たちは何を引き継ぎ、受け継ぐべきかが明確にされています。

「またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。」
エペソ人への手紙 1章11節
「また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。」
ペテロの手紙 第一 1章4節
「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。」
コリント人への手紙 第一 13章13節

私も父母から信仰の遺産を受け継ぎました。私たちは御国を受け継ぐ者として召されています。自分が努力して成し遂げたものを引き継ぐのが福音ではありません。恵みによって与えられたものを受け継ぐのが福音のです。神さまが私たちに願っていることは、キリストの恵みを知り、神さまの愛を受け取り、与えられているものを感謝して喜ぶことです。私たちに与えられた賜物(ギフト)を、喜んで御国を受け継ぐために使う。それがタラントや、ミナのたとえです。物質主義からの勝利は、地上に何を残すのか、天で何を受け継ぐのかをしっかりと理解することから始まります。ハレルヤ!

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