「聞く耳のある者は!」ルカの黙想:学び第14回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.5.14)より
聖書箇所:ルカの福音書 8章1節〜18節

また、別の種は良い地に落ち、生長して百倍の実を結んだ。」イエスはこれらのことを話しながら、大声で言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
ルカの福音書 8章8節

種まきのたとえ:キーワードは?

テニスや卓球、バレーボールなどのスポーツで一番重要になるポイントは、サーブとレシーブです。特にレシーブのときは、相手のサーブをしっかりレシーブできないとその後の攻撃に繋げることができません。神さまも同じように私たちを祝福するためにみことばを与えてくれます。しかしその祝福を得るためには、与えられたみことばをしっかり受け止める私たちの姿勢が重要です。

有名な種まきのたとえですが、これらの箇所を読む時、イエスさまが言いたい本質の「キーワードは何か」と考えることがとても重要です。イエスさまが伝えたい本質は、ここでいう「聞く耳のある」とか、「聞き方に注意する」ということがどういうことかを知ることにあります。もしここで、私たちが「みことばを聞いても」、「聞き方」を誤るなら実を結ぶことはないからです。

8節で、イエスはたとえ話を話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で叫ばれました。原語的には「叫び続けた」となります。9節の「弟子たちは、このたとえがどんな意味かをイエスに尋ねた」とあります。弟子たちも、イエスさまの言われることが分からないので、自分たちが納得するまで、イエスさまに向かってそのたとえの真意を問い続けます。「聞く耳のある者」が聞くとは、その本質がわかるまで何度も、繰り返し、熱心に、イエスに向かって尋ね続けることなのです。そうするなら、必ず、あなたは神の国の奥義を悟ることができるのです。

しかし別な見方をするならは、自らそのみことばの真意を知ろうとしなければ、決してその真意は悟ることができないということでもあります。同じ時間、同じ場所で、同じ恵みを聞いても、ある人にとっては恵みとなり、生き方が変えられていのちを得るのに、ある人にとってはただの退屈な時間となります。メッセージの伝え方もありますが(語る側にも聖霊さまの助けが)、でもそもそもみことばに対する飢え渇きが一番重要な問題なのです。

聞く耳を「持っている人は、」

イエスさまは神の国の奥義として「持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるのです。」と語られましたが、何を持っている人のことを言っているのでしょうか。それは「聞く耳」です。イエスさまの語ったことばの真意を尋ね求めるというその霊的な「耳」を持つことよって、さらなる天の御国の秘密が与えられるという約束しです。そして、そのような者こそ多くの実を結ぶ「良い地」なのです。ハレルヤ!

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