「栄冠を受ける生き方」完成を目指して:学び第7回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.10.16)より
聖書箇所:ピリピ人への手紙 3章10節〜14節

「兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」
ピリピ人への手紙 3章13節~14節

あなたは自分の人生で何を追及し、何を目標(ゴール)として歩んでいますか?

パウロがここで追求していることは、キリストの復活の力を知ることです。その力は、私たちに死で終わることのない復活の希望を与え、今の時の苦しみに勝利を与えてくれます。パウロが目標としているのは、決して朽ちることのない「神の栄冠」を受けることです。あなたは自分の人生で何を追及し、何を目標(ゴール)として歩んでいますか?

パウロは、なんとかしてその目標に達したいという飢え渇きがありました。どの成長の分野でも「私はもう十分、もうすべてを理解した、もう学ぶことはない。」という人には成長は見込めません。「しかし自分はまだ達成していない、私にはまだ知らなければならないことが一杯ある。」と求める人は、必ず成長します!

パウロは、イエスさまと言うお方をさらに深く知ることを追及しています。イエスさまの十字架から溢れ流れる愛と、恵みと、麗しさには限界がありません。イエスさまの恵みは、私たちを驚きと喜びの発見へと日々導いてくださいます。もし私たちが、自分はキリストを知り尽くしたと思っているなら、実は、その人こそ本当の恵みをまだ何も知っていないのかもしれません。

私たちが信仰のレースを走り抜けるのに大切なことは、

ゴールを見続けることです。イエスさまを見続けなくては、キリストにある希望を見続けなくては、私たちは忍耐を持って走り抜くことはできません。ゴールが見えない、終わりの分からないレースは走りきることはできません。

「イソップ物語のウサギとカメ」の話はみなさんよく知っていますよね。。。。彼らが何を見て走っていたか?勝利者の秘訣はそこにあります。焦点が定まっているため、ゴールに集中して生きることができます。パウロは、この一事に励んでいますと言います。焦点が定まっている生き方には、自分のなすべきことと、しなくて良いことがハッキリしてきます。余分なことに心や、エネルギーが取られなくなります。

死んだら終わりではなくて、死んだあとも見続けることができるゴールを目指して歩みましょう!

神さまの栄冠を受ける者とは、神さまの前に富む者となることかもしれません。私たちが神さまの前に立つとき、神さまが求められるのは「財産」ではありません。私たちがくじけそうになっても、失敗しても、前を向いて一歩一歩信仰を持って歩んでいく道のりが、神さまの前に富む生き方ですね。私たちの国籍は天にあります。天に宝を積みましょう!

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