「罪の赦しと愛の関係」ルカの黙想:学び第13回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.5.7)より
聖書箇所:ルカの福音書 7章36節〜50節

ルカの福音書が一番伝えたい主題は「赦し」です。

そして今回の箇所は、その赦しと愛の関係を見事に表現しています。パリサイ人のシモンは「一緒に食事をしたいとイエスを招き」ました。でも彼はイエスさまを招きはしたものの、イエスさまを歓迎し愛する心がありませんでした。シモンが気になっていたことはただ一つ、イエスさまが罪深い女のことを見抜けるかです。

一方、不思議なことに招かれざる客であった罪深い女は、自分の立場からすれば到底入ることのできないパリサイ人の家に入って来て、たらいの水の代わりに涙でイエスさまの足をぬらし、手ぬぐいの代わりに自分の髪の毛で御足をぬぐい、その足に口づけをしてやめません。頭に油を塗る代わりに大切な香油を注ぎます。それほどまでにイエスさまに対する愛と感動があるのです。この2人はイエスさまと同じ時間、同じ空間にいましたが、全く違う反応を示します。

2人の債務者のたとえ話

そのような2人を見て、イエスさまは「2人の債務者のたとえ」をシモンに語られます。このたとえで語られる「2人の債務者」は罪人のことです。そしてその「債務」は私たちの罪のことです。イエスさまは、この2人の罪人が自分たちでは到底返すことができなかっ罪を同じように赦されたのに、その赦しに対する愛の応答に違いがあることを示します。「多く赦された者は、多く愛するようになる」ということです。シモンは自分の罪を悟ることができなかったので、女を罪に定めて非難します。反対に女は、イエスさまから受けた赦しがあまりにも大きかったので、その悔い改めと感謝が心から溢れ出し、イエスさまに対する愛の行為がとまりません。これがワーシップの行為です。

罪深い女は、自分の罪深さを自覚していました。

「多くの罪を赦されている」とは、罪の行為の大きさ、多さではなく、罪の自覚の大小です。彼女がこれほどまでにイエスさまを愛せたのは、犯した罪が多かったからではなく、彼女の心の中に罪を認め悔い改める自覚があり、それと同様に赦しの恵みが与えられていることです。そのため喜びが溢れて愛の行為がやまないのです。イエスさまは、この女の流した涙、口づけ、香油の意味を知っていました。それはイエスさまに対する“悔い改め”と、“愛“と、“感謝”です。イエスさまは、きょうも自分の罪と、その赦しの恵みの大きさを知る者を喜ばれます。ハレルヤ!

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