「いのちと御霊の法則」伝道者の書:学び第7回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.1.8)より
聖書箇所:伝道者の書 3章16節〜4章3節

正義を守るべき「さばきの場」に不正がある

今日の箇所でコヘレトが体験する空しさは、日の下における「不正と死」に対しての空しさです。正義を守るべき「さばきの場」に不正があると言うのです。「正義の場」に不正があるということは、「他の場所」ではなおさら不正がはびこっているのです。本当は弱い者、貧しい者を守るべき正義の場所に不正が君臨しているのです。助けを求めて訴えるさばきの場に、正義がないのです。これがコヘレトの空しさ、罪ある人間の正義の限界ですね。コヘレトが葛藤しているのは罪と死の束縛、その空しさです。

さぁ、その束縛から私たちはどのように勝利しているのでしょうか。

「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。」
ローマ人への手紙 8章1節~2節

「いのちの御霊の原理」と「罪と死の原理」

ここに二つの原理(新解約3版)が出てきます。ひとつは「いのちの御霊の原理」、もうひとつは「罪と死の原理」です。この「原理」と訳された「ノモス」ということばは、「いつでも決まった働き方をする力」のことを言います、つまり法則です。(フレミングの法則など。)同じように私たちにも二つの法則が働きます。クリスチャンになったと言っても、私たちの心の中にこの対立する二つの力が働いています。私たちが罪と死の支配の下に立っているのか、いのちと御霊の支配の下に立っているのかです。

ローマ7章ではパウロも自分の力で神のみこころを行なおうとして、その戦いに敗れて、自分の限界を嘆きます。ところが8章に入ると、一変してそれができると言います。いや、できる者とされているということを見出すのです。たとえばあなたがエレベーターに乗ったと考えてください。エレベーターには二つの力が働いています。一つはエレベーターを下に落とそうとする力です。引力の法則です。もうひとつの力はエレベーターを上に持ち上げようとする力です。その力の原動力は電力です。その電力の力が下へ落ちようとする力に打ち勝って、エレベーターを持ち上げてくれるのです。ここで大切なことは、引力の力は絶えず働いているということです。引力の法則は常に働いているのですが【それよりもずっと強い力が働く】ことで、引力の法則の働きを打ち消すことが可能になります。それが「いのちの御霊の法則」です!

私たちもこの世にいる限り、日の下で生きる限り罪の力は働き続けます。しかしそれよりもずっと力強い御霊の力が働くことで、 罪の力に勝利することができるのです。あなたのうちに働かれる御霊の力に導かれるならば、その御霊の働きは、あなたを新しい生活へと導いてくれるのです。そして、そこにはいのちがあり、喜びがあるのです。ハレルヤ!

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