詩篇127篇の黙想①「主が建て、主が守られる家」

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.5.1)より
聖書箇所:詩篇127篇 1節~5節

「主が家を建てるのでなければ 建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ 守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起き 遅く休み 労苦の糧を食べたとしても それはむなしい。実に 主は愛する者に眠りを与えてくださる。」
詩篇127篇1節~2節

どんな団体であれ(企業・学校・法人・町)、その目的を果たすためには持続性と拡張性(成長)が必要になります。それは、守りと攻めの概念と言えるかもしれません。教会の歩みも同様に、持続的に存在することだけが目的ではなく、成長し、また福音が宣べ伝えられていくという使命が与えられています。詩篇127篇を通して、①持続性②拡張性について学びたいと思います。

①主が建て、守られる家。持続性。

神殿の建築とエルサレムの町の防衛は、イスラエルの民、その共同体の生活がいつまでも存続し、昼夜敵の攻撃から守られ安全に暮らすためには欠かせない大切な働きでした。その再建のためにエズラやネヘミヤたちが主に用いられました。新しく建て直した神殿は、栄華を誇ったソロモンの神殿とは全く違っていましたが、イスラエルの民にとっては大切な神殿であり、その喜びは、彼らの神の民としてのアイデンティティの回復でもありました。毎年、春や秋になると祭りのために成人男性は喜びをもってエルサレムに上ってくるのです。また祭りのための巡礼の旅では、長期間長い距離を移動し家族を残して自分の家を空けるので、残された家族にも多くの危険が伴いました。そのため、この都上りの歌を歌いつつエルサレムを目指すこと自体、まさに残された我が家を主に守ってもらうという信仰告白そのものでした。ここでのポイントは1つです。「主が建てるのでなければ・・・」「主が守るのでなければ・・・」むなしいと言うことです。

「むなしくない生き方がある」

自分の力ですべてのことをしていると考えるならば、その力がなくなるときに「むなしさ」が湧いてきます。また、とてつもない計画を自分で成し遂げないといけないと思うなら、あなたの心は疲れ、その労は先が見えずむなしさに押しつぶされそうになります。しかし、この詩篇では、「むなしくない生き方がある」ということをとても短い言葉で言い表しています。それが「主が建てる家」「主が守られる町」はむなしくならないと言うのです。私たちの涙も、私たちの労苦も主が成し遂げてくださる、主が完成へと導いてくださるという確信があるなら、イエスさまはあなたに安心を与え、勇気を与えてくださいます。その歩みは、確かな神さまの御手の中にあるのだから、「私は大丈夫だ!」という平安を持つことができるようになります。そう、これが都上りの共通したテーマですね。「私の助けは主から来る!」ハレルヤ。

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