岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.1.15)より
聖書箇所:伝道者の書 5章1節〜7節
①「自分の足に気をつけよ」とは?
伝道者の書 5章1節
伝道者の書5章に入っていくと、コヘレト(知恵者)が神の前に出る姿勢について言及しています。「自分の足に気をつけよ」とは、神の宮に上っていく者の姿勢、いけにえをささげる者の姿勢について警告しています。ソロモン王の時代、繁栄したイスラエルの問題点について、形式的ないけにえ、決められたことだけやっている、うわべだけの礼拝の姿勢が指摘されています。イスラエルの民は、決められた通りいけにえをささげ、祭司たちも決められた通り儀式的にそれらをほふっていました。
しかし一番大切な神さまとの本質的な愛の交わりを忘れてしまい、祭りごとにささげるいけにえの形式ばかりにこだわっていました。ある意味、自分たちのしている行為に満足しているいけにえ、礼拝です。それは、神さまのことばを聞いても自分たちの生き方を変えようとはせず、外面だけにこだわり、内面(心)がともなっていないのです。まるでイエスさまがいちじくの木を呪われたように、実がともなわない、うわべだけのワーシップについてコヘレトも嘆いています。私たちの礼拝の姿勢はどうでしょうか?
②二つ目にコヘレトが警告しているのが、神の前における「ことばによる敬虔」です。
①軽々しく
②心焦ってことばを出すな。
神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、
③ことばを少なくせよ。」
伝道者の書 5章2節
口のことばに対する空しさについて、3つのことを警告します。神さまの前では、「軽々しく」、「心焦って」ことばを出すな。これは、神さまのことばを待てないで、焦って誓約してしまうことを表現しています。口先だけのことばです。また「ことばを少なくせよ」とあります。ことばが多いと失敗も多くなるということです。
コヘレトが勧めるのは、「私たちが無口になれ」ということではありません。私たちの口のことばが根拠のない、自分の主観的なことばばかりを発するのではなくて、真実なことばを「ひとこと」握りなさいというのです。また私たちクリスチャンの言動は、人の前だけではなく、神さまの前に覚えられていることを意識するべきです。それが神を恐れる敬虔に繋がります。
もし私たちが、いつもイエスさまの十字架の前に出て語ることを意識するなら、そのへりくだりをもって語るなら、その十字架のことばは、義の実を結ばせ、私たちのことばが平和をつくるものと変えられていくのです。ハレルヤ!