岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.3.26)より
聖書箇所:ルカの福音書 5章17節〜26節
クリエイティブな神さまの業(わざ)
今回のストーリーの主人公は、中風(半身麻痺などにより自由に動けない状態)をわずらっている人をイエスさまの前に運んで来た人たちです。彼らの信仰は、なんとかしてイエスさまの前に中風の人を運びたい、なんとかしてイエスさまに近づきたい、イエスさまの所へ行けば、イエスさまがなんとかしてくれるという信仰と、そのために能動的に行動する情熱がありました。いろいろな問題や困難があったとしても、屋上に登り、屋根を壊して、床のまま病人を吊るして、イエスさまを囲む人々のど真ん中にその人を置きます。
彼らには、あらゆる手を尽くしてイエスさまの前に連れて行こうという生きて働く信仰がありました。生きた信仰には、クリエイティブさ、新しい発想、勇気があります。イエスさまは、その信仰を見て感動します。今日、みなさんに知って欲しいことは、神さまはクリエイティブなお方であるということです!この世界もクリエイティブな神さまの作品ですね。そして、私たちを日々新しく造り変えてくださるのもクリエイティブな神さまの業です。
友よ、あなたの罪は赦されました。
イエスさまは、そのような彼らの信仰を見て、中風の者に「友よ、あなたの罪は赦されました。」と宣言されます。しかし、この宣言に人一倍反応した人々がいました。それが当時の宗教家たちです。彼らがイエスさまの近くに集まって来たのは、イエスさまを求めていたのではなく、イエスさまを否定するためでした。彼らは心の中で「神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」とつぶやきます。その通り、彼らの神学は間違ってはいませんでした。しかし、その真理をイエスさまに見出すことができませんでした。イエスさまはその心を見抜いて、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、イエスさまがメシア(救い主)であることを示すために、どちらが易しいかと問われます。
罪を赦すことができるのはメシアだけの権威
常識的に考えるならば、前者の言い方は、たとえ言ったとしてもそれは可視的に見ることができませんが、後者の言い方は可視的な現実が求められます。言うだけの方が簡単で、奇蹟を見せる方が難しいです。しかし、ここでは前者の方が難しく、後者の方がやさしいのです。罪を赦すことができるのはメシアだけの権威だからです。そしてイエスさまは「罪を赦す権威」を持っていることを示すために、中風の人を癒されます。イエスさまは今、この瞬間、この場所で、罪を赦すことができることを示めされました。
今日、赦された者として生きることができる!これがクリスチャンの特権です。イエスさまは言われます。「友よ、あなたの罪は赦された」と、その赦しを受け取りましょう。