「墓場から家へ」ルカの黙想:学び第15回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.5.21)より
聖書箇所:ルカの福音書 8章26節〜39節

ゲラサ人の地とは、

カペナウムの反対側(ガリラヤ湖の対岸)にある異邦人の居住地デカポリスの10の町の一つです。イエスさまがその地を訪れた目的はただ一つ、「失われたひとりの魂を捜して救うため」でした。それも、ここでは名もないひとりの異邦人のために時間としるしを用いて、救いのみわざを現します。そこには長い間、数多くの悪霊につかれた(レギオン=数多くの軍団を意味することば)人が出てきます。その悪霊はこの人を何回も捕らえて、彼が逃げようとしても無理やり彼を縛るのです。だれも彼を制御できなくて、鎖をかけても、足かせをかけてもそれを断ち切ってしまい、彼は裸でだれも来ることがない墓場で1人で住んでいました。完全に悪霊によって支配され、家族や社会からも完全に疎外された人でした。

そのようなひとりの魂の救いのために、イエスさまが来られるのです!

生きる希望のない者、霊的に死んでいる者、誰も助けることができない領域にいる者に、いのちの希望を与えるためにイエスさまは来られます。イエスさまは彼に会うと、心からの愛のあわれみを注ぎ、この人から出て行けと悪霊に命じます。悪霊はイエスさまの権威あることばに服従するしかありません。闇の力は、イエスさまの光に打ち勝つことがないからです。その結果、彼は解放され救われます。悪霊が去った彼は、正気に返って、服を着てイエスさまの足もとにひれ伏します。だれも助けることができないほどに束縛されて苦しんでいた彼の人生に、変革が起こりました。そして救われた彼は、イエスさまのために献身しようとします。自分の人生をイエスさまにささげたいとしきりに願います。数分前まで狂い叫んでいた人が、今は、、、。

しかしそんな彼が救われたことよりも、

自分たちが育てた豚が溺れ死んだことを惜しみ、怒り、イエスさまを自分たちの町から去らせようとする人たちがいます。ある人の人生には【悪霊が去っていき】、ある人の人生には【イエスさまが去っていき】ます。

悪霊から自由になった彼がイエスさまについて行きたいと願いましたが、イエスさまは彼をその地に残されます。ゲラサの人々のために、伝道者が必要だと考えられたからです。そんなイエスさまの心を知った彼は、イエスさまが望まれたとおり、熱心な伝道者となり、イエスさまが自分にしてくださった大いなることを町中に言い広めたのです。墓場にいた者が、自分の家、自分の居場所に帰っていき神さまの栄光を現しました。私たちの人生にもその道が開かれています。ハレルヤ!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする