「混ざること、区別されること」その②

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.04.26)より
聖書箇所:マタイの福音書 5章13節~16節

「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」マタイの福音書 5章13~14節

愛するみなさん。「私たちは地の塩です!」地の塩になんとかなれるように、とはイエスさまは言われません。イエスさまを信じた瞬間から、私たちは地の塩なのです。あなたの中にイエスさまが生きておられます。私たちは日々キリストに似たものと変えられていきますが、でもすでにキリストにあって生きるものであります。この世に混ざり合いつつ「塩味」を効かせていきます。さぁ今日は私たちのもう一つの役目を見ていきましょう。

②区別されること。

「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」
私たちは「世の光」でもあります。そのことを「山の上の町」であるとも言われます。「光」も、「山の上の町」も四方八方から見られ、隠れようがないほど高々とそびえています。言語では定冠詞がついている「山」とはシオンの山、エルサレムのことを言います。神さまの栄光がある場所、やがて栄光の王が立つ場所です。

「あなたがたは、世界の光です。」
教会は、クリスチャンは、一方では塩のように世の中に混じり込んでいますが、他方では世から区別され、高々と主の栄光を現す存在でもあるのです。しかし私たちそのものは光ではありません。でも主の栄光を反映させる器です。器だけでは光りませんが、イエスさまが私たちのうちに生きておられるので、光を輝かせることができるのです。

イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」ヨハネの福音書 8章12節

自分の器だけを見ないでください。勝手に自分に働く神さまの栄光を制限しないでたください。机の下に隠れないでください。人々から隠れる前に、神さまから隠れないでください。あなたは「世の光」です。いのちの光を持つのです。高々と主の栄光を現す存在であります。「光よあれ!すると、光があった。」私たちは、神さまのみことばに立つのです。

自分で輝く必要はない。イエスさまの十字架の恵みを知り、その恵みを喜んで生きるときに、
イエスさまご自身が私たちのうちに輝き出てくれます!ハレルヤ。

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