「あわれみを理解すること」ルカの黙想:学び第40回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.11.12)より
聖書箇所:ルカの福音書 18章 9節〜23節

①義と認められること(9~14節)

ここでのイエスさまのストーリーは、「祈り方」についての教えではありません。パリサイ人から罪人扱いされていた取税人が、神さまから「義と認められて」帰ったということがこの話の主題です。これは、神さまから義と認められるために生きてきたパリサイ人にとっては、まさに晴天の霹靂(思いがけず起こる大事件)でした。

どうして、神さまの義を成そうと頑張っていたパリサイ人ではなくて、人々から罪に定められていた取税人が義とされて帰ったのか。それは取税人が「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」と祈ったからです。自分が罪人であることを認め、ひたすら神のあわれみにすがったことが、神の目に義とされたのです。神さまのあわれみだけが私の望みであることを受け止めたのです。それが天の父との正しい関係であり、その悔い改めをもって神さまの前に出る神さまへの全き依存が、神から義と認められる唯一の道です。

パリサイ人のように、神さまの前に自分の正しさを主張している間は、神の義を受け取ることは難しいです。自分の罪を認め、こんな私ですが神さまのあわれみが必要ですと、神の赦しを求めた取税人が義と認められて家に帰ったのでした。みなさん、私たちはどうでしょうか。自分は結構正しいと思っていませんか?イエスさまを信じた途端、周りが皆罪人に見えますか?いつも「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」と告白する者は幸いです。そんなあなたに、神さまは御手を伸ばして、いつもあわれみを注いでくださり、イエス・キリストにある神の義(十字架の赦し)を示し続けてくださいます。ハレルヤ!

②神の国に入ること(15~17節)

次にイエスさまが語られたテーマは、「神の国に入る」という救いの恵みです。「神の国に入る」ためには、「幼子のようになる」ということが重要だということです。ここでいう「幼子」とは、字義通りの「胎児、新生児」のことだけではなく、当時のイエスさまに付き従ってきた弟子たちや、女性たち、取税人のことを指しています。まだ一人では歩けない、ケアーが必要な者たちですが、神さまのあわれみを素直に求めているのでイエスさまに触れてもらうことが出来ます。イエスさまが言われる「神の国を受け入れる」とは、イエスさまを受け入れることと同義だったからです。だからイエスさまは、わたしのもとに来ようとする霊的幼子の邪魔をしてはいけないと言われるのです。

教会には、神聖さが必要です。それは神さまが主権を握っている聖さです。しかし、私たちが創り出す神聖さは、時として霊的幼子たちの邪魔をしてしまいます。神の国は、弱い者、失敗者、貧しい者、悲しむ者、義に飢え渇く者がイエスさまと出会う場所であることを覚えましょう。ハレルヤ!

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