「陶器師と粘土」創世記マスタープラン 学び第15回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.06.06)より
聖書箇所:創世記 2章7節

「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」

①陶器師と粘土

神さまはアダムを「神のかたち」として造られました。すべての被造物は、神さまの発せられることばにって造られました。しかし「人」だけは、大地のちりで神さまが手作りで形造り、神さまのいのちの息を吹き込まれ生きることになります。乾いて風に巻き上げられれば吹き飛んでしまう地のちりも、水分を含めば粘土になります。その湿った大地のちりで人は形造られます。

「しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。」
イザヤ書 64章8節

「陶器師と粘土」これが聖書の価値観です。

陶器師は選び出した粘土を何度も揉んで形にします。気に入らないと自分の手でこわし、再び揉んで形造ります。これはとても大切なプロセスです(エレミヤ書 18章4~6節)。神さまは、あなたを陶器師の手の中にある粘土のように自由に取り扱う権利があります。陶器師の手の中にある粘土は陶器師の思いと願い、またその意思と判断によって形造られます。主が私たちを形造られます。

②いのちの息

そして「その鼻にいのちの息を吹き込まれ」ます。「吹き込む」と訳されたことばは、「炭火を吹き起こして燃え立たせる」という意味です。火は火種に息を吹きつけることで勢いよく燃えます。人もそのように神の「いのちの息」が吹き込まれることによって、はじめて生きるものとされます。それはイスラエルも、教会も、私たちも同じですね。

③土の器

パウロは、私たちのことを「土の器」だと言いました(コリント人への手紙 第二 4章6~7節)。そして、その器の中に宝があると!「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた光、それが私たちの内にあるのです。それは言うまでもなく、私たちのうちに住んでおられる神の栄光「キリストのいのち」であり、聖霊さまです。その原型が、まさに創世記2章7節にあるのです。今日もその聖霊さまがあなたを新しく形造り、あなたのうちにキリストの似姿を建て上げてくださいます。私たちの陶器師は良いお方であることを認めます。ハレルヤ!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする