2倍の祝福と外套

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2024年1月号より

「では、あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください。」
第2列王記2:1~14

2024年、あけましておめでとうございます。今年も神さまの祝福の中で、共に神さまの御心の内を歩めますように。

さて今日のみことばは、エリヤが天にあげられる最後の時まで忠実にエリヤに従った、カバン持ちエリシャのストーリーです。その記述を見ると、エリシャがどれほどエリヤを慕い、彼との交わりを喜び、感謝していたのかが伺えます。そのエリヤから、最後の願いをひとつ聞かれる機会が与えられたとき、エリシャが願ったことが、「あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください。」というものでした。

エリシャが願った二倍の祝福とは何だったのでしょうか? エリヤの霊的力(しるし)の二倍でしょうか。それともエリヤの霊的な知恵の二倍でしょうか(エリヤは預言者学校をしていた)。そんな事を考えながら、そもそもエリヤとエリシャの出会いはどのようなものであったのかと思いを馳せました。列王記第一19 章を読んでいくと、カルメル山での大勝利のあと、エリヤは肉体的にも、霊的にも疲れ果て、ひとりで荒野に出て行き、もう死にたいと神さまに願います。しかし、一人の御使いがエリヤのもとに現れ、彼を励まし、食物を与え、彼を再び立たせました。

そして彼は、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブまで行き、そこで神さまの細い声を聞きます。その声の中に、「シャファテの子エリシャに油を注いで、あなたに代わる預言者とせよ。」と言う命令を聞くのです。二人の一番最初の出会いは、ただ畑を耕していた若者(エリシャ)に、エリヤが何も言わずに外套をかけただけでした。なのに、エリシャは牛や父・母を置いて、すぐにエリヤに従って行くのです。エリヤは「私があなたに何をしたのか?」と言いますが、この何でもない外套が、静かで目立たないひとりの若者の魂を変えてしまったことは明らかです。エリシャに何が起こったかは目には見えませんが、この外套をかけられたことによって彼の人生は全く変えられていきます。

さて、エリシャが最後に求めたものですが、エリシャの返答は何か小難しい言い回しになってしまったかもしれませんが、彼が求めていたものは、ただエリヤの祝福、一緒に過ごした恵みの生き方そのものだったのだろうと、私は思います。「あなたと一緒にいたい」「私は決してあなたから離れません」それが彼の願いだったのではないでしょうか。火の戦車と火の馬が現れ、二人の間を分け、竜巻に乗って天に上げられるエリヤを見たとき、エリシャは「わが父、わが父」と叫びます。二倍の祝福とは、長子の権利でもありました。外套をかけることは、彼らの文化では自分の子とすること(養子とすること)も意味していました。ここでエリシャは、エリヤのことを初めて「わが父」と呼びます。そして、自分の着ていた衣を引き裂いて、エリヤの外套を手にします。最初に出会ったあの瞬間、この外套、このカバーリング。。。エリヤが残したのは、その外套でした。

ガラテヤ人への手紙3:26~27
「あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。」

父の心、その外套、それはアダムに対しても、そして私たち一人ひとりに対しても着せてくださる、神の子どもとしての特権、カバーリングです。イエスさまの外套の中にいる者は、何と幸いでしょうか!今年も私たちは、その中にとどまり続けましょう。ハレルヤ!

牧師 佐藤耕二

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