「キリストの使節として」 2コリント学び第10回

「コリント人への手紙第2」学び 第10回(2018.10.07)
聖書箇所 2コリント 5章20節~21節

「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。」
聖書箇所:コリント人への手紙第2 5章20節

神さまが懇願していることは、私たちにゆだねられたのは「和解のことば」 = 福音を宣べ伝えることです。
和解 (シャローム)とは、神さまとの関係の回復、罪から解放されることです。
キリストの使節として私たちが宣べ伝えることを確認しましょう!

①罪からの解放

罪とは、神さまが私たちに期待しておられる生き方からずれることです。
最初に創造されたアダムとエバは、神さまと良い(完全な)信頼関係を持っていました。
最高の愛の関係にありました。
でも罪がその関係を崩します。
罪により神さまとの関係が壊れると、自己中心的な考えが私たちを支配し、人との関係も壊れ、争いが起こります。
私たち人間が抱えている問題のすべての根源はこの罪からきます。
この罪からの解放を宣べ伝えるのです。

②和解の方法。

21節「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。
イエスさまは、罪の奴隷となっている私たちを解放するために「身代わり」としてご自身をささげてくださいました。
神さまご自身が、私たちの罪のための「のろい」をすべて受けてくださった。これが福音の契約の恵みです。
19節「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで(代わりに神さまご自身が負ってくださった)、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。

③和解の結果。義とされる祝福。

21節「それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
イエスさまを救い主と信じた人は、神さまから義と認められます。
義とされるとは = 全き者と、罪のない者とされるということです。
何の働きもない者、不敬虔な者を「全き者、罪なき者」と見てくださる。これが恵みであり、義認の本質です!

ローマ 4 : 5「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。

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