「祭司の務めと王の務め」創世記マスタープラン 学び第17回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.06.20)より
聖書箇所:創世記 2章15節

「神である【主】は人を連れて来て(取り)、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。」

「神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き」ます。神さまが連れてきて「置かれる」のです。ここで語られる「置く」と言うことばは、ヘブル語で「ヌーアッハ」と言います。「安息を与える」「憩わせる」と言うことばです。詩篇23篇のオアシスです。やがてイエスさまが私たちを取って、神さまの歓喜の中に置かれますね。ハレルヤ!
神である主は人を取り、エデンの園で休ませてから、アダムに役割・務めを与えられます。それが「耕させ」「守らせた」という務めです。

①耕すこと。

エデンの園には、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木が生えており、そのどの木からでも思いのまま食べてよいと言われた土地です。なにゆえに人は「耕す」必要があったのでしょうか。もちろん労働も神さまから与えられた「恵み」の一つでありますが、土地がのろわれたのは罪が入ってからです。この「耕す」という言葉には、もう一つ重要な意味があります。それが「仕える」「礼拝する」という意味です。(ヨシュア24章15節「私と私の家は主に仕える」)
神さまが人に与えた務めは、「神さまを礼拝すること」です。私たちは主をほめたたえるために造られました。主に礼拝をささげると言うことは、祭司的な務めです。これが人に与えられた務めのひとつ「祭司の務め」です。

②守ること。

もう一つ神さまが人に与えた務めは「守る」ことです。エデンの園を「治める」「管理する」「見張る」という務めです。ここも不思議ですね。神さまの祝福が満ち溢れ、完全な守りがあるエデンの中で、何を「守り」「管理し」「見張る」必要があったのでしょうか?
それは、神さまのことばに聞き従うということです。これが王としての務めです。あなたが王になるのではなくて、神さまが王として臨在される国を見張るのです。王として治めるためには、神さまの声に従わないといけません。それが人に与えられた「守る」=「王としての務め」です。

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」
ペテロの手紙 第一 2章9節

王である祭司として、ご自分の栄光の中に招いてくださったイエスさまのみわざを宣べ伝えることが、私たちの役割でもあります。

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