バビロン捕囚とエルサレム陥落 旧約人物伝 第38回

旧約聖書 人物伝 第38回 (2018.03.11)

第三次捕囚・・B.C. 586 エルサレム陥落 (これがバビロン捕囚の代表的な出来事)

前回(バビロン捕囚とエルサレム陥落 旧約人物伝 第37回)捕囚地バビロンで捕囚民ユダヤ人が反乱を起こした。
しかし、エレミヤは平静になるように手紙を送った。
偽預言者の煽動に乗らないように警告し、むしろバビロンのために平安を祈ることを勧めたのだ。
それは、主による解放と回復の時は、「70年」が満ちてから来るからだ。
このエレミヤの言動は、南ユダのゼデキヤ王の下にいた熱狂的な親エジプト派の憎しみを買った。

預言者エレミヤは、バビロンのくびきを従順に負うこと、決して反抗してはならないと警告した。

しかしその警告は無視されるかたちとなった。
南ユダのゼデキヤ王はバビロンに反抗し、捕らえられ、彼の子どもたちは彼の前で殺され、彼自身も両眼をえぐり取られ、鎖につながれたままバビロンへ連れて行かれた。
エルサレムは陥落し、神殿は火で焼かれ、周囲の城壁はことごとく破壊された。
老若男女を問わず多くの者が虐殺された。
貧民を除く、すべての者たちがことごとくバビロン捕囚という憂き目に遭った。(Ⅱ列王記24章8~17節、エレミヤ52章17~23節)

【注】
エレミヤの70年の解釈として、いろいろな考え方がある。
象徴的意味として理解し、あまり数学的正確さにとらわれなくてもよいとする見解もある。
しかし、ヨシヤ王が死んだ年のBC.609年から、ペルシャの王クロスによってユダの民が捕囚から解放されたBC.539年までが、丁度70年になる。
神の民が完全にリセットされるために実際に70年の歳月を要したのだ。

なぜ、ヨシヤ王の死んだ年から70年なのかが実は重要。
つまりヨシヤ王の死は神の視点からするときわめて深い意味をもった出来事だっからだ。

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