旧約聖書 人物伝 第39回(2018.03.18)
南ユダがバビロン捕囚に合う前のヨシヤ王の活動と死は神の目に神の目に重要な意味を持っていた。
(1) ヨシヤ王の宗教改革…2列王記 22~23章。2歴代誌 34~35章。
ヨシヤ王はユダ王国の最後の宗教改革行った王。
ヨシヤ王は、治世第8年に16歳の若さでダビデの模範に従って主を求め始め、第12年には断固として偶像除去を開始した。
ヨシヤの主への熱意が改革事業を断行させた。
それは徹底したもので,偶像礼拝者への厳しい処置も含まれていた。
第18年目に宮で律法の書が発見され、頂点に達した。
(2) 霊的影響と実り(三人の預言者、エレミヤ、ダニエル、エゼキエルの輩出)
ヨシヤ王の治世(34年)に、バビロン捕囚前と捕囚期に用いられる預言者―エレミヤ、ダニエル、エゼキエル―が育っていた。
エレミヤが召命を受けたのは、ヨシヤ王の改革翌年(B.C 627)。
(3) ヨシヤ王の不慮の死
ヨシヤ王が女預言者フルダに神のみこころを求めたとき、彼女は、「エルサレムに神の怒りが注がれるのは避けがたいことであるが、ヨシヤの謙虚な態度の故に,破局はヨシヤの時代には臨まない」と言った(Ⅱ歴代誌34:23~28)。
当時のアッシリヤは力が衰え,新興してきたバビロニヤがこれを西北方へ押しやっていた。
アッシリヤ王とその軍隊はバビロニヤ軍に追われ,ユーフラテス川上流のカルケミシュまで追い詰められた。
このアッシリヤへの援軍を率い〈エジプトの王ネコ〉が北上するという情勢の中で,それを阻止するためにヨシヤは軍を率いて〈メギドの平地〉でエジプト軍に戦いを挑んだ。
ネコは「ユダを攻めるのではないから、軍を引け」と忠告したが、ヨシヤは聞き入れず、この戦いで彼は戦死した。
B.C.609年、ヨシヤの死を全国民は悲しんだ。
ヨシヤの死は、南ユダ王国の背教と滅亡へ急転する引き金となった。