「十分の一献金」信仰の父アブラハム 学び第10回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.03.17)より。
「創世記」信仰の父アブラハム 学び第10回
 聖書箇所:創世記 14章1節~20節

「あなたの手に、あなたの敵を渡された いと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼(メルキゼデク)に与えた。」創世記14章20節

捧げものには色々な種類がありますが、この十分の一のささげものは、特別に教会を祝福してきた原則でもあります。
そして聖書を見ましても礼拝の回復とささげものの回復はセットで出てきます。
神さまを愛することと(礼拝と)、ささげものとは本質的には同じであるからです。
そしてそれらは、神さまの祝福と密接に関係しているのです。
アブラムがささげた十分の一の原則、ささげものの原則を確認してみましょう。

1 神さまの一方的な恵みを体験したことによる感謝!

アブラムは、神さまによる一方的な勝利を体験しました。
羊飼いであるアブラム一族と、かたや相手は一国を治める王たち率いる連合国の軍隊です。
ふつうに考えたら勝ち目はありません。
しかし一方的な勝利を治めました。
メルキゼデクのことばも、「あなたの手に、あなたの敵を渡された いと高き神に。」「祝福を受けよ。アブラム。」とあります。
アブラムは、すべて神さまの祝福であると認めて、その恵みに感謝してささげているのです。

2. 恵みを受けてから!恵みが先。

・十分の一を捧げたら祝福される?十分の一をしないと祝福されない?
・十分の一献金は、律法によって定められた掟であるからしなさい。いやいや、十分の一献金は、旧約聖書の律法に定められていることであって、新約時代のクリスチャンは律法から解放されているからしなくていい?

教会が教えてきた宗教的な献金。
義務的なささげものになる間違いがここにあります。
アブラムは十分の一をささげたから勝利したのではありません。
十分の一をささげたから祝福を受けたのではありません。
十分の一をささげる前に、神さまはアブラハムを祝福されました。
私たちは、神さまの祝福をお金で買うんでしょうか?
見返りを求めて礼拝するのでしょうか?
しないと呪われるからするのでしょうか?
いや違います!
いつも恵みが先です。
恵みに対する応答がささげものの本質です。
神さまは喜んでささげる者を祝福されます!
ハレルヤ!

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