「ひとり子イサクをささげなさい。」その① 信仰の父アブラハム 学び第28回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.07.21)より。
「創世記」信仰の父アブラハム 学び第28回
 聖書箇所:創世記 22章1節~14節

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

①神さまの試練=訓練。
これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。
神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。1節。

聖書の中で神さまに用いられた信仰者たちは、例外なく、数々の試練を通して神さまの訓練を受けた人たちです。
アブラハム、この試みには2種類あって、ひとつはサタンからくる試みです。
それは、私たちを惑わし、神の愛を疑わせ、神さまの恵みから私たちを離れさせようとするものです。
しかし神のことば、すなわち神さまからくる試練は私たちを建て上げ、神さまに近づけます。
それは、さらに大きな祝福にあずからせるための訓練です。

生まれながらの私たちの性質は、絶えず安泰・安定・安楽を求め、その安定の保証を物質や、お金、地位や人間関係に求めます。
はかない、裏切られやすいものをよりどころとして求めるのです。
しかし神さまは、私たちのよりどころを私たちから離し、神さまのみに信頼することを求められます。
それが私たちの一番の幸せだからです。
神さまの与えるテストとは、私たちの人間的なよりどころが取り去られることでもあります。
それは私たちを罰するためにではなく、信仰者として建て上げるための訓練です。
ときに眠っている私たちを目覚めさせる試練もあるでしょう。
またしっかり目覚めているときにもこの試みはきます。

これまでも幾度となくアブラハムも試練を通ってきました。
そのことにより、アブラハムはいつも神さまに信頼することを学び、神さまの恩寵を体験してきました。
ある意味、アブラハムの神さまへの信仰は円熟していたと思われます。
人間的に見るならば、もう十分、アブラハムには訓練はいらないと思えるのではないでしょうか。
しかしここにきて、神さまはアブラハムに対して最終試験として最高に厳しい試練を与えられました。

神さまは、「全焼のいけにえ」として、完全に焼き尽くすささげものとしてイサクをささげよと言われるのです。
皆さんならどうするでしょうか?
このような神さまの命令に対して、アブラハムは様々な点で反論することができたはずです。
しかし、アブラハムは一切の反論もせずに神さまの命令に従います。
次回、その信仰について学んでいきます。
神さまの試練に対して、私たちも応答する者でありたいですね。ハレルヤ。

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