「神さまのみこころの外にあることも。」 信仰の父アブラハム 学び第27回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.07.14)より。
「創世記」信仰の父アブラハム 学び第27回
 聖書箇所:創世記 21章8節~21節

すると、神はアブラハムに仰せられた。「その少年と、あなたのはしためのことで、悩んではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ。しかしはしための子も、わたしは一つの国民としよう。彼もあなたの子だから。」
21章12節~13節

今日のメッセージのテーマは、「神さまのみこころと、みこころの外にあることも」と題しました。
あなたの人生には、神さまの良い計画があります。
みなさんの人生には、神さまの計画の中にある将来と希望が与えられています。
しかし、私たちの日々の歩みには、神さまのみこころだけがなるということではありません。
神さまの計画は必ずその通りになります。
しかし、みこころの以外のことも起こるのです。
もちろん、すべての営みは主権者であられる神さまの許しの中で容認されています。
だけどこの地上には、神さまのみこころを痛める多くの罪の現実があるのです。
だから「みこころがこの地になるように」祈ることを求められていますね。
サラを通して約束の子が与えられること、これが神さまのみこころでした。
奴隷の女からではなく、サラ自身から約束の子孫が増え広がることでした。
イシュマエルのことは、神さまの初めのみこころにあることではありませんでした。
そのため、アブラハムとサラのうえには、様々な葛藤が生じます。
私たちの信仰生活にも同じような葛藤がいつも起こりますね。
神さまに従いたい。
神さまのみこころ通りに歩みたいと願うのに、自分の義や罪のゆえに、余分なことばかりしてしまう。
それゆえ、神さまの祝福を受け取って生かされているけど、また新たな問題が起きてくる。
それが私たちの歩みですね。
神さまの「みこころ」だけがなるのであれば、私たちの自由意志を働かせる余地はありません。
しかし、神さまは私たちの意思を尊重してくださいます!
私たちの意思をもって神さまを愛すること、神さまに応答することを、神さまは望んでおられるのです。

だから、このようにアブラハムが葛藤する中で、神さまの語りかけがあります。
12節「その少年と、あなたのはしためのことで、悩んではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が(みこころ)、あなたの子孫と呼ばれるからだ。しかしはしための子も(みこころの外にあることも)、わたしは一つの国民としよう。彼もあなたの子だから。」

私たちが神さまのみこころを求めて従うとき、「神さまがすべての責任はわたしがとる。」と言われるのです。
ハレルヤ!

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