「モーセは死んだ。モーセから、ヨシュアへ」ヨシュア記の学び 第1回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.4.7)より
聖書箇所:ヨシュア記 1章 1節〜9節

ヨシュアは「モーセの従者」でした。

いわゆるモーセのかばん持ちです。モーセが行くところに行き、モーセが必要なものをすぐに用意するような弟子です。ヨシュアはモーセの後ろ姿をずっと見てました。そんなヨシュアがモーセのかばん持ちとして登場するのは、イスラエルの民がシナイ山に向かっている途中にアマレク人に襲われたときのことです。イスラエルの民がアマレク人と戦うために、モーセはヨシュアをその戦いのリーダーとして送り出しました。モーセは丘の上で、アロンとフルに助けられながら両手を上げて祈り、戦場ではヨシュアが実際にアマレク人と戦い、イスラエルに勝利をもたらしました。またヨシュアは、ガデシュ・バルネアにおいて(偵察のため)、カレブとともに、約束の地に入って、その地を勝ち取ることができると信じた人です。他のイスラエルの民は、それは無理だと神さまの約束を信じなかったので、荒野を40年間さまよって、みんな死んでしまいます。その口の告白通りになってしまいます。

モーセは言うまでもなくイスラエルの民にとって最高のリーダーでした

モーセは、イスラエルの民を約束の地に導くために、80歳という高齢であったにも関わらず、エジプトに行き、パロと対決し、イスラエルの人々と共に苦しみ通り、荒野の旅を歩んだ人です。モーセは直接神さまから啓示を受け取るような偉大な信仰者でしたが、荒野の旅の晩年、イスラエルの民が水を飲みたいと言ったそのつぶやきに腹を立ててしまい、神さまが「一度、岩を打ちなさい。」と命じられたのに、岩を2度打ってしまいました。たったこの一回の失敗によって、モーセは約束の地に入ることができませんでした。そんな。。。どうして?と思われますが。けれども、それには大きな意味があります。第一コリント10章には、この岩はイエス・キリストであると書かれています。イエスさまはただ一度、十字架で打たれ、その死によって人々に生ける水を与えるようにされるという啓示が、そこにはあります。モーセは、自分の欲と感情によって岩を二度打ってしまい、キリストを表すことに失敗してしまいました。それは、どんな優れた人でも、人は律法によっては(自分の行いの正しさによっては)、決して神の約束を受け継ぐことはできないことを教えてくれます。

律法の代表モーセ、信仰の代表ヨシュア

しかし今、ヨシュアは約束の地を受け継ぐことになります。モーセが「律法」を代表しているのに対して、ヨシュアは「信仰」を代表しています。ヨシュアは信仰によって約束の地に入れると信じました。そして、主の恵みによって実際に約束を相続する者となります。律法によるのではなく、ただ信仰によって神の地を受け継ぐことができる。それが神さまが私たちに与えてくださっている霊的祝福の約束です。けれども、この約束は実際に「足の裏で踏んで」、その土地に入っていって、恵みを受け継ぐ必要がありました。これを「信仰」と言います。私たちはも同じです。「神さまを信じている」と口では言いますが、具体的な生活の領域において、本当に神さまを信じて生きるということを勝ち取っていく必要があるのです。ハレルヤ!

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