「美しく、汚れのない花嫁」雅歌の学び 第10回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.11.17)より
雅歌の学び 第10回
聖書箇所:雅歌 4章1節~7節

「わが愛する者よ。あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。」4章7節

雅歌4章1~15節は、雅歌の中の花婿の言葉としては最も長い箇所です。
花婿は、花嫁の美しさを称賛しています。
雅歌書には、花婿を愛する花嫁に対する叱責のことばは何一つ出てきません。
雅歌書の学びを通して神さまがどれほど私たちを愛しておられるのか、私たちをどのように見ておられるのか、私たちの神さまに対するイメージが全く変えられることを願います。
そして今日のポイントは7節。花嫁が「美しく、何の汚れもない」存在としてと描かれている点に注目したいと思います。

「あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。」
花婿の愛の告白には花嫁の美しさがたたえられているだけで、欠点は出てきません。
花婿にとって花嫁は、傷など一箇所もないのです。
これはまさに罪を犯す前の「アダムとエバ」を思い起こさせます。
またそれと同時にキリストが教会のためにご自身をささげられたことによって、聖なるものとされた「しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会」(エペソ5章27節)の姿を思い起こさせます。

使徒パウロは「アダムとエバのかかわり」を「キリストと教会」(花婿と花嫁)のかかわりの型として奥義を語ります(エペソ5章31節~32節)。
エバがアダムから造られたように、花嫁は花婿から出た(造られた)者だからです。
全き者から取られ造られた女、それが花嫁なる教会です。
それゆえ花嫁には一切の傷(汚れ)がないのです。

そしてやがて花嫁は「傷なき者として」花婿の前に立つのです。
花嫁は花婿のきよさと美しさの反映でなければなりません。
これが「一体である」ことの奥義と言えます。
だから、神さまのご計画によれば、

①この世の基が置かれる前から、キリストの花嫁はキリストにあって選ばれ、
②傷のない美しい花嫁として造られたがゆえに、花婿の(イエスさまの)贖いが必要だったのです。

そこに花嫁に対する神の愛があるのです。
この愛の契約はいにしえから変わりません。
あなたの神さまに対する愛ではなく、神さまのあなたに対する愛にかかっているのです。ハレルヤ!

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