「旗を掲げた軍勢のように」雅歌の学び 第14回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.12.15)より
雅歌の学び 第14回
聖書箇所:雅歌 6章2節~13節

「わが愛する者よ。あなたはティルツァのように美しく、エルサレムのように愛らしい。だが、旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。」6章4節

①教会の尊厳。
「ティルツァ」とは、王宮があった場所で北イスラエルの首都です(Ⅰ列王記14:17)。
その首都は後にサマリヤに移ります。
そして「エルサレム」は偉大な大王の都、南ユダの首都です。
共通していることは、その美しさで知られ、堅固な城壁に守られて、揺るがない土台にあるということです。
王の都、威厳と繁栄がある場所です。
そのように花嫁も尊厳と栄誉があるというのです。

②旗を掲げた軍勢のような教会
軍勢が戦う時に必要なもの、重要な役割を果たすのが旗です。
旗を掲げるとは、自分がどこの部隊に属しているのかを示すものです。
それは誰のために戦っているか、何のために戦っているのかを示します。
旗印とは、誰が軍を率いているのか一目で分かるようにした目印で、何本も立てられました。
強い武将なら「俺がここにいるぞ!」と相手を威圧するメリットもありました。
戦で活躍した場合、「ああ、あいつが活躍したな」と一目で分かり評価されたというわけです。
豊臣秀吉の「総金」、武田信玄の「風林火山」、上杉謙信の「毘」毘沙門天などです。

あと大切なことは、旗を掲げるのは勝利したしるしです。
勝利した軍勢が旗を掲げます。
戦いに負けるなら、旗は屈辱のうちに取り去られます。
しかし、その旗が翻る時には、いつも勝利の栄光があります。
花嫁はそんな存在であることをたたえているのです。
花婿の前で美しく愛らしい花嫁は、一方で、天の都のように堅固でゆるぐことがない、いつも勝利者としての尊厳があるそんな花嫁の存在を表現しているのです。

そして「その軍勢は恐ろしい」とあります。
それは鬼のような女性のイメージではありません。
その「恐ろしさ」は、神の聖さと密接に関連しています。
もし花嫁がこの世に融合し、世にこびるとすれば、神の聖さを失い、同時に「恐ろしさ」も失います。
その聖さを保ち、花婿をとりこにし、その視線を釘付けにするのは花嫁しかないのです。
そして、その旗じるしは「愛」です。
神の愛によって建て上げられるのです。
愛により建て上げられる教会は「美しさ」と「恐ろしさ」を合わせ持つ存在として、主の栄光を現し続けるのです。ハレルヤ!

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