「柔和な者は幸いです」幸福な人生の条件 その3

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.02.23)より
聖書箇所:マタイの福音書 5章5節

イエスさまが言われた幸いな人とは、神の国を持っている人のことです。それはこの八つの幸いのうちの一つでも持っていれば幸いだね、ということではなく、幸いな人のうちには、この八つの性質が形造られていくのです。キリストに似る者として新しく造られていくのです。

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」

「柔和な者は幸いです」と聞くと、やっと理解しやすい幸いがきたぞ!と私たちは思います。「柔和な人」と聞くといつも穏やかな、和やかな人というイメージを思い浮かべます。でも原語では「柔和な者」とは、悩む、苦しむ、みじめな状態を意味する「アーナー」(עָנָה)という言葉から出てきています。つまり「柔和な者」とは「みじめな者」とも訳せます。人々からの多くの不当な非難や迫害に会いながらも、それに対して「苦しみ、みじめに見えるが、じっと耐え忍ぶ人」と言うことができます。そしてその柔和な者こそイエスさまご自身の姿でもあります。

「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。」ペテロの手紙第一 2章22節~24節

「柔和な者」、それはイエスさまのもっている性質ですね。私たちはどうでしょうか?ののしられたり、人から不当な扱いや非難をされても愛をもっていつも対処できるでしょうか?それは難しいことですね。

しかし、イエスさまはすべての不当な扱いや非難を受けながら、自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。イエスさまはすべての権威を持っておられましたが、自分の権力を振り回すことがありませんでした。柔和な者の特徴は、自分の持っている権力を弱者に振りかざすことがありません。イエスさまは、自分は仕えられるためではなく、仕える者として来たと言うのです。すべての権威を持っておられる方が、神としてのご自分の身分を捨てて、私たちに仕え、いのちをささげてくださったのです。これが柔和です。

この柔和さは、「真の男らしさ」と似ています。本当に強い人は、その強さをアピールしません。本当の金持ちは、持っているように見せかけなくてもいいのです。弱い者ほど強く見せたがるのです。しかし神の国の幸いは「権力を振るうのではなく、持っているけど耐え忍ぶ」柔和な生き方にあるのです。ハレルヤ!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする