岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.06.21)より
聖書箇所:使徒の働き 4章1節~14節
「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」使徒の働き 4章12節
・サンヘドリンでの尋問
彼らの尋問は、「何の権威によって」「だれの名によってこんなことを」したのかです。もうそれは彼らも知っていたでしょう。「イエスの名」だと、だから捕まえたのです。彼らが盲目なのは、自分たちにその権威があると思っていることです。神さまの権威を自分たちのものにしているのです。わかりやすく言うと、自分たちの地位や名誉のために神さまを利用しているのです。これが人間が創る宗教の本質ですね。ペテロは聖霊に満たされて語ります。「その権威も、その名も、復活したイエス・キリストにある」と。聖霊が臨まれるとき、あなたがたは力を受けます!
・唯一の救い主
日本人にとっては「どの宗教もみな同じ」「八百万の神」という考え方があります。それにより、キリスト教は排他的だとか、あわれみがないと言う人たちがいます。その方々の言い分は、どの神さまを信じても行き着くところは一緒だというのです。「この方以外」「唯一の神」ということを否定したくなるのです。
でも救いの道は唯一です!
イエスさまの十字架と復活のみわざしかありません。イエスさまの名と他の神々とでは、その救いの定義が全く違います。それは自分たちの善行、自分たちの信じる力、お金で救いを買ったり、彼らの救いは「神に」ではなく、自分たちにかかっています。それが宗教ですね。でも「福音」は違います。
「救い」は、お金や善行では買えません。そもそも「救い」とは、様々な問題からの解決や、私たちの願望を満たすものではありません。聖書で言う「救い」とは、神さまとの関係の回復であり、罪から来るすべての縛り、のろい、自己義からの解放であります。神の愛を知り、イエスさまの恵み(赦し)を受け取り、聖霊の喜びにより自由に生きる者へと変えられること。これが神さまによって造られた私たちの姿であり、本当のいのち、救いです。イエスさまが与える救いは、概念や思想ではありません。新しく生まれるいのちにあります。
人生いろいろなことがありますが、それでも救いの喜びをもって神さまをほめたたえることが出来る、それが「唯一の救い」の恵みです。ハレルヤ!