「天からの光」使徒の働き 学び第17回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.08.23)より
聖書箇所:使徒の働き 9章1節~9節

「ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。」使徒の働き 9章3節

サウロは「天からの光」によって目が(開いてはいますが)見えなくなりました。三日目の後にアナニヤによって祈ってもらうと、目からうろこのようなものが落ちて目が見えるようになったのです。この「目が見えるようになった」というのは、単に肉体的視力が回復したというだけではありません。自分が迫害してきたイエスこそ救い主=メシアであったことを論証するほどに彼の霊の目は開かれたのです。

何が、彼をそのようにさせたのでしょうか。それが「天からの光」なのです。

サウロを照らした「天からの光」は神さまからの光であり「シャカイナ・グローリー」という特別な光です。後に使徒パウロは、この光を「キリストの栄光にかかわる福音の光」だとし、「光が、やみの中から輝き出よと言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださった(Ⅱコリント4:4,6)」と述べています。

神さまの創造のはじめ「光よ。あれ。すると光ができた。」とありますが、そもそもすべての被造物はこの「光」の中で造られました。このときの「光」は太陽・月・星などの光源としての光ではなく、創造者である神さまとすべての被造物との関わりにおける「シャカイナ・グローリー」としての光でした。この神さまの栄光の中で、人は神のかたちに似せて造られたのです。ところが人は神さまのことばに逆らい、その罪の結果として光(神さまの臨在)を失い、闇の支配の中で生きるようになります。

しかし神さまの恵みは深く、私たちはキリストを通して、闇から光へ、サタンの支配から神の支配の中に移されて生きるようにされます。これが「福音」です。「救われている」と言うことは、今も生きておられるイエスさまとの人格的な出会いです。この出会いがなければ、宗教人にはなれても、新しいいのちを受けてイエスさまに喜んでついていくことはできません。サウロは教会を迫害して滅ぼすことが神に仕えることだと確信していました。自分の義に立ち、自分こそ神の前に正しいと思い込んでいました。

しかし生きておられるイエスさまと出会ったとき、心が砕かれてその「光」の前でひれ伏すのです。サウロは、生きて働く神さまの臨在を体全身で感じました。神さまの主権的な恵みによって真理を悟り、霊の目が開かれたのです。この福音の光があなたを照らす時、あなたの生き方が変わります。
ハレルヤ!

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