「開かれた牢の門」使徒の働き 学び第23回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.10.04)より
聖書箇所:使徒の働き 12章1節~12節

「こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。」使徒の働き12章5節

使徒の働きにおける初代教会の特徴には、リバイバルと教会成長がありますが、それと同時に迫害と殉教も起こります。リバイバルが起こり、教会が成長していくとき、福音に対抗する勢力や問題が起こってきます。ステパノの死やヤコブの死もその一つです。そして聖徒たちにも迫害が及びます。私たちは、それらの問題にどのように立ち向かわなければならないでしょうか?それが今日のテーマです。

使徒ヤコブがヘロデ(ヘロデ・アグリッパ一世。ヘロデ大王の孫)によって殺され、ペテロも投獄され殺されようとしている。このような危機の中で初代教会がまずしたことは、ただちに緊急会議を招集し打開策を話し合ったのではなく、ペテロ救出チーム(SWAT)を作って決死隊を組織したのでもありませんでした。彼らはただひたすら「熱心に祈った」とあります。教会は迫害の中で、ただ熱心に祈ったのです。祈りに力があることを知っていたからです。

教会における祈祷会や共に集まり祈ることには、どれほどの力があるのでしょうか。

お互いの問題を共有し、祈り合うことは教会の特権です。イエスさまは言われました。教会に天の御国かぎを与えると(マタイ16:19)。教会の祈りには、権威があります。教会の祈りには力があるのです。神さまはどんなに固く閉ざされた私たちの人生の門でも開いてくださいます。

四人一組の兵士四組。両腕の鎖のかせ。牢の外の番兵。閉じられた門。さらに2つの衛所。このような警戒態勢をくぐり抜けて脱獄することは、到底不可能なことです。しかし教会の祈りがこの門を開きます。

ではエルサレム教会は、いつまで祈っていたのでしょうか。

それは、ペテロが御使の助けによって牢から解放され、彼らが祈っていたマルコの家に着くまででした。彼らは祈り続けました。祈りを止めませんでした。「熱心に祈り続けていた。」とは、原語では「休まず祈り続けていた。」という意味です。私たちも祈り続ける必要があります。共に祈り続けることが必要です。共に集まり、共にみことばを食べ、共に祈り、共に主のなされる御わざをほめたたえる。それが教会であり、神の家族ですね。教会は祈りの家であり、教会の祈りには力があります。ハレルヤ!

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