生きる意味

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2021年2月号より

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
ヨハネの福音書 3:16

ある女子高校生が、友人が自殺したことを機に、ひとつの質問を新聞に投稿しました。
「何のために私は強く生きなければならないのか?」
この問い対して多くの反響が寄せられました。でも彼女が満足する回答は得られませんでした。彼女は再び「何のために私は強く生きなければならないのか」と投稿します。彼女が問いたかったのは「生きる意味」であったのに、寄せられた答えは「いかにして生きるか」という方法論でしかありませんでした。誰も彼女の本当の問いかけに応えることができませんでした。

「私は何のために生きているのか。私は何のために生まれてきたのか。。。」
その理由を自分で見出そうとしても、答えは出てきません。私の生きる目的、私の生きる理由、私の願い、私の目標、私の将来、私の成功。。。それらはすべて「自分」から出発しています。生きる目的の中心が、いつも自分なのです。

しかし、聖書はそのようには言いません。私たちの始まりも、目的も、存在する理由もすべて神さまから「はじまっている」のです。
「はじめに神が天と地を創造された。」 創世記1:1
私たちの出発点は、神さまなのです!

あなたが今、こうして存在しているのは、神さまがそのように願われたからです。あなたは神さまによって造られ、そして神さまのために造られました。そのことに気づかないと、人生の目的は決して見えてきません。私たちを造ったのは神さまです。造られた方が、その人の価値と目的を一番よく知っています。そしてその神さまが私たちひとりひとりを愛してくださり、私たちに最高の生きる目的、救いの道を備えてくださいます。
その恵みの中で神さまに感謝して生きることこそ、私たちの生きる目的です。
ハレルヤ!

牧師 佐藤耕二

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